[コメント] バクマン。(2014/日)
編集部との対立は終局的事態に至らず、打倒すべき対象はライバルではあっても悪役ではない。そもそも勝敗はたかが読者アンケートの順位=脚本家の胸三寸で決するという。かくのごとき興ざめた状況の下、二時間前後で完結せざるを得ない劇映画はいかにして「勝利」に作劇的な正当性を与えるべきだろうか。
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映画を見終った人むけのレビューです。
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この設問に対して『バクマン。』は以下のごとき回答を試みる。すなわち「漫画制作における肉体労働の側面を強調する」ことである。
物語の重要な転機として過労の挿話を採用するためには、「(新人とはいえ)週刊少年ジャンプ連載作家に一人のアシスタントもいない」という考証の犠牲も厭わない。肉体労働としての漫画制作の描写には最大限の幅を設ける(ひたすらペンを走らせる質朴なリアリズム演出〜コンピュータ描画を駆使した疑似格闘)。「友情」「努力」という概念は、肉体労働に翻訳されることではじめて「勝利」をもたらすだろう。
積極的に面白がることまではできないにしても、これが厳しい作劇的制約下で娯楽映画を成立させるほとんど唯一の策だったのだろうとは思量する。しかし、これでは神木隆之介くんばかりが割を食う。漫画家志望者を原作者と作画者に分解したあたりも物語の眼目に違いなかったはずなのだから、演出には原作者キャラクタの面目を保つ配慮を促したい。
情報量の多い画面が見応えのある画面と必ずしもイコールではないこともメモランダムとして記しておく。
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