[コメント] 怒り(2016/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まず構造の部分でいうと、結局のところ「八王子夫婦殺害事件」を元にその「犯人探し」をしていたのは警察と私たち観客だけなのである。またその警察も「犯人探し」のために「田代」、「直人」、「田中」のいるそれぞれ「千葉」、「東京」、「沖縄」の現場近くに足を運んでいたのかというと、これも決してそのようには描かれていない。誤解のないようにいうと、「千葉」での捜査に関しても、あれは愛子からの通報があったことによってなされたにすぎず、決して警察の側からの主体的なものではなかったはずである。その意味では、本作の中で「千葉」、「東京」、「沖縄」というそれぞれの舞台の状況を踏まえたうえで「犯人探し」をしていたのは、結局のところ観客である我々だけなのである。
では、「千葉」、「東京」、「沖縄」というそれぞれの舞台の登場人物が「田代」、「直人」、「田中」というそれぞれの容疑者に抱いていた思いは何かというと、写真や映像を見たことによる「犯人に似ているかも」という「疑念」に過ぎないわけだが、それを我々観客は「犯人探し」の目で見てしまっていて、ここにこそ我々観客が最後まで犯人を見破れなかった大きなポイントがあると思う。
つまり、「千葉」、「東京」、「沖縄」というそれぞれの舞台上にて「疑念」を抱く登場人物は、それぞれに「田代」、「直人」、「田中」という、それぞれただ1人の男しか知らないわけなのだから、映画的にそれぞれの舞台での登場人物の「疑念」の思いを膨らまそうとするならば、各舞台で使われる犯人の写真や映像は、やはりそれぞれ「田代」、「直人」、「田中」に似ていなければならないわけだ。さらに言えば、作り手側はその辺りを考慮してそれぞれの舞台の登場人物が「似ている」と思うような写真や映像にしていたという。しかし観客として俯瞰的に「田代」、「直人」、「田中」という3人の中から「犯人探し」をしている我々は、そんな写真や映像の中からもそのヒントを探そうとやっきになってしまっていたはずである。そうなると、これはもう作り手の思うつぼで、ここはひとつ映画というものを李相日にうまく利用されてしまったなと素直に感心してしまった。
しかし、もっと根本的なところで、本作がそんな単なる「犯人探し」を目的としたミステリーなのかというと、それはやはり側面的なものにすぎず、その本質はタイトルである「怒り」の元となるその思いとはいったい何なのだろうと考えさせる作品なわけで、そうなるとやはり登場人物の内面的な感情の揺れ動きが感じられなければならないはずである。そういう意味でも、それぞれの登場人物を演じた役者陣の素晴らしさも、これはもう声を大にしてでも語っておかなければならないものだろう。
痛みを背負った渡辺謙、ラストの表情に震えた宮崎あおい、影を感じさせて絶品であった松山ケンイチ、喪失の哀しみを引き受けた妻夫木聡、心底愛おしかった綾野剛、難役への果敢な挑戦広瀬すず、あれは彼にしか演じられない森山未來、1200人から選ばれただけはある佐久本宝、そして端役ながら強い印象を残した高畑充希等、それぞれが主演を張る実力派の競演は、これはもうすごいのひとこと。正直、満喫した。本当に無遠慮に心の中に入り込まれるような彼らそれぞれの素晴らしい演技があったからこそ「怒り」の根源にある「疑念」そして「信念」とはという思いを、自分なりに今一度強く心に問いかけることができた。
実は『フラガール』を観たときも、『悪人』を観たときも、李相日の演出は自分には生理的に合わないなとは思ったのだが、今回もまた打ちのめされてしまった。そこがちょっと悔しい。
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