[コメント] 哭声 コクソン(2016/韓国=米)
信じるより疑う方がたやすい。信じることは人に努力を強いるから苦しい。憎悪の対象さえ見つけて(作って)しまえば、人は平穏でいられる。だが、信じることの放棄は不安ももたらす。この矛盾は心を媒体に伝播し世間の空気を作る。疑うことの悪魔性についての奇伝。
謎が謎のまま放置されるので複雑そうに見えるが、冷静になってみると話しは意外と単純で一本調子。そこを、前二作(『チェイサー』『哀しき獣』)の大騒ぎぶりとは一転、ナ・ホンジ監督は腰の据わった画づくりで重量感たっぷりの不穏さで見せきってしまおうとするも、過剰という点では同じで相かわらず「しつこい」。
やがて、その“仕掛け”の端々に『エクソシスト』や『オーメン』の痕跡が、オマージュというより既視感として見え隠れし始めて、やっと「疑うことの悪魔性」という本題にたどり着いた時には息切れし、こちらの集中力もいささか途切れぎみ。
権威のない田舎の警察署のたたずまいや、ろくに鍵も掛けずに生活していそうな寒村のロケーションが、人の心の隙間を象徴しているようで好い。
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