[コメント] あの頃エッフェル塔の下で(2015/仏)
3つの章題は(日本語字幕で)「少年時代」「ソビエト連邦」「エステル」だ。それと、邦題はちょっとミスリードを招くものだ。パリの場面もあるし、エッフェル塔も確かに映るけれど、それはわずか2シーンほどであり、多くの場面はパリから200キロほど離れた(と科白のある)ルーべーという町を舞台とする。
主人公はポール・デダリュス(役名)。プロローグとエピローグではマチュー・アマルリックだが、メインのプロットは高校から大学時代でカンタン・ドルメールが演じる。また、少年時代及びソ連(といってもベラルーシ)のパートはセットアップとしては重要と云えるかも知れないが、メインのメインはヒロインのエステル−ルー・ロワ=ルコリネとポールとの関係を描いた部分と云えよう。
そしてこのポールとエステルの瑞々しい演技・演出が圧倒的に素晴らしく、その他のエピソードが刺身のツマぐらいにしか感じられないという点が本作のウィークポイントだ。ポールが妹の同級生−エステルに初めて出会う場面における、顔アップのドンデンの切り返し(180度のカメラ位置転換)。ポールたちの家で開いたパーティにエステルがやって来るシーンのスローモーションや彼女が煙草を持ってダンスするショット。翌朝、ポールが彼女を家まで送る場面でも、イマジナリーライン越えの(180度カメラ位置を転換した)ドンデンの切り返しがバンバン繋がれるのだ。ポールがパリの大学へ行ってしまったことで、精神を病むエステルの場面もまた、ルー・ロワ=ルコリネという女優の造型は見事だと思う。
他のプロット、例えばポールの少年時代のパートは、父母や妹弟との関係をお膳立てすることに機能はしているが、お祖母さんのローズ(彼女はポールを姪の子と云うので、正確には大叔母か大伯母)−フランソワーズ・ルブラン(『ママと娼婦』のヴェロニカだ!)の役割は、もったいぶって意味深に描かれるにも関わらず中途半端だろう。あるいは、ベラルーシでポールの「分身」が設定されるのに、これが後のプロットでほとんど活かされない、という作劇も残念な部分で、これをもう少し機能させることができていれば、かなり違ったろうと感じられる。
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