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[コメント] ローサは密告された(2016/フィリピン)

たとえピントがボケようが“撮る”ことを放棄しない。劇映画なのに露骨なまでにカメラの意思が貫かれる。それは、今の自分たちの社会のありようを、語るのではなく、見つめるのでもなく、見せるのだという強い思の表れだ。私たちの目はまんまと釘づけにされる。
ぽんしゅう

その情報量は膨大だ。

いちばん驚いたのは、フィリピン社会の金銭に対する感覚のルーズさだ。金遣いが荒いということではない。貨幣に対する価値が曖昧なのだ。冒頭のスーパーマーケットの釣銭切れのやり取りに始まり、タクシー、路上賭博、中古品売買、借金、袖の下、密告の対価、はては買春料金や没収金の扱い。金品にまつわる価値の設定が、すべてその場の状況や気分しだいの交渉で決まるのだ。

いうまでもなく、貨幣価値とは社会の信頼度を担保するベースであり、人々が生活を営むための規範の根幹のはずだ。ところが、ここで“見せられる”フィリピン社会は、どこまで彼らがそのことに自覚的なのかは分からないが、あまりにも貨幣の価値が曖昧で不確かなのだ。彼らの生活、すなわち人生は、きわめて脆弱な土台の上で日々営まれているのだ。

2016年6月にドゥテルテがフィリピン大統領に就任して、日本のメディアも例のごとくしばらくは彼の話題で盛り上がった。大規模で、我々の感覚からするといささか乱暴な麻薬撲滅運動が慣行され、警官に殺されるのを恐れて自ら刑務所に逃げ込んだという大量の麻薬患者や密売人の映像が流された。あるいは報奨金欲しさに一般人が銃を手にし、はては警官によって無実の韓国人が誘拐、殺害されたなどという報道も耳にした。この1年で警官に殺された者は3,000人以上だそうだ。

貨幣の価値の曖昧さと、人の命に対するルーズさの根は、どこかでつながっているのだろうか。こんな社会に暮らす人々の不幸に同情を禁じ得ない。などと、西欧合理主義と高度経済システムに守られている(と思い込んでいる)私たち日本人は、高みから憐みを込めて(何もできなことを棚に上げて)嘆息するかもしれない。それでも彼は“こんな社会”を生きぬかなければならないのに、だ。

ローサ(ジャクリン・ホセ)が空腹を満たすために立ち止った屋台で、虚空を見つめた涙目は、そう語っていた。

(評価:★5)

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