[コメント] 散歩する侵略者(2017/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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初っ端の、人間に掬い取られて捕獲される金魚が、宇宙人に侵略される人間のメタファーとして不気味に映じて期待させるが、そのまま金魚と一緒に帰宅する女子高生・恒松祐里を遠景で捉えてから、突如開いたドアから顔出した母さんが必死の形相、だが再びドアの内へと捕われて、というシーン、恰も『接吻』の劣化コピーかのようなキレの無さで、早速失望。
その後もこの女子高生さんのアクション、また相方・高杉真宙のガンアクションなどを見ても、黒沢清のアクションシーン勘の無さには情けなくなる。アクションそのものは悪くないんだが、それを捉えるカメラが、ぬぼーっと眺めているだけで、ショットの厳密さも無ければ、カット割りの驚きも無い。
謎の「感染症」に罹った皆さんで騒然とした病院シーンも、空間把握力に難ありで盛り上がらない。人々の姿を捉えていくカメラの動きが早すぎて、光景が像を結ばず流れてしまう。カメラが人物に寄りすぎて、空間内の位置関係が把握しづらい。カメラがグルンと周るだけで、空間を立体的に捉えておらず、平板な画になっている。
アクションがからっきしダメである、という清への諦めがついた辺りでの、長谷川博己の対空戦。これは嬉しい裏切り。清の中に、『北北西に進路を取れ』をやってみよう、という明確な動機でもあったのかもしれない。上空を飛行機が飛んでいる、というだけの光景が、「世界を覆いつくす何か」を感じさせる『回路』のシーンをアクションシーン化したような面白みもある。(飛行機による演出というと押井守も連想するが)
だが、散々爆撃を受けた長谷川が、煤だらけの姿でフラフラ歩くさまは、ドリフのコントかと思わせる。わざと昭和のノリのベタなコメディ色を出したと思しき、こうした清のメタ思考的なユーモア感覚というのは、どうにもスノッブな厭味が感じられて鬱陶しい。
「愛」の概念に関して。松田龍平が問う「愛」に対して、聖書の文言をただ暗記し、定義を言葉で並べ立てる牧師を演じているのが東出昌大というのが、『予兆 散歩する侵略者』とのつながりとして面白いのだが、それはさておき。概念というものが、言葉に言葉を重ねるだけでは理解できず、ただ人間の頭に実際にそのイメージが浮かぶことによってのみ理解されるのだ、ということを実感させるシーンではある。が、そもそも概念は、それ単独で成立するものではない。皮肉にも、牧師が延々と喋る「愛」の定義が多すぎて把握できない松田の姿は、そもそも概念の奪取という設定そのものが、ホントは成立しがたいのだという現実を露わにしてはいないか。
例えば「家族」の概念には、「自分/他人」の概念、「〜の」(所有)の概念、等々が前提とされているのではないか。そうした、副次的、波及的に複数の概念が消滅する事態を描いていないのは、いかがなものか。AIにおびただしい猫の画像を見せたら、パターンとしての「猫」を学習させられるご時勢だが、この映画で奪われる概念はもっと社会的かつ抽象的かつ合成的かつ情動的だろう。
「仕事」の概念を奪われた光石研が子供のようにはしゃぐ姿が、悪い意味で滑稽なのは、ああいった行動は「仕事」と対置される意味での「遊び」の概念の発動だろうと思えるからだ。「仕事」から解放されたおっさんが大はしゃぎする行動そのものが、「仕事」の概念を前提とした上で、それを踏み潰す行動に思える。彼が、「大人」とか「責任」とか「羞恥」とかいった概念すら失ったかのように大暴れするのは、このおっさんなりの「仕事」の概念がそういうものだったから、かもしれないが、このおっさんの「仕事」概念が全人類のそれと一致しているかのように奪っていく宇宙人は、なんか根本的に勘違いしているのではないか。いや、宇宙人がというより、こんないい加減なお話を平然と撮っている人たちの勘違い?
その意味で、「愛」を奪われた長澤まさみが、「何も変わらない」と本人は言っていたのに、小泉今日子先生が、他に例を見ない症状だと診断するその症状とは何なのか、人は「愛」を奪われたら、どう変わってしまうのか、それを観客に投げかけるラストはいい。いいんだが、この疑問というのは、本当は「愛」以外の概念でも同じではないのか。いいラストだと言いたいところだが、この物語そのものが相当ムリがありますよというのを最後の最後に白状しているような、自己破壊的ラストでもある。作っている側は、そこにどこまで自覚的なんだろうか。かなり無自覚なようにしか見えなかったんだが。
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