[コメント] リュミエール!(2016/仏)
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ドキュメンタリーはどれも見事に動的な構図がある。これをルイの天才に求めるのは短絡だと映画は説明してくれる。この抜群な才は伝達可能な技術として、世界に派遣した助手たちに引き継がれているのが確認できる。絵画の歴史では、いまにも人物なりが動き出しそうな迫力ある描写の技法はすでに出尽くしていた。撮影者たちはこれら技術を的確に習得していると思われる。
1895〜1905年に1422本が作られた。本作の100余本のセレクトは、しかし存外に政治的だと思った。日本人が裸で農作業している有名なフィルムは登場せず、裸になるのはフランスの旧植民地のベトナム人。日本人は剣道(小手が異様に大きい)している1本だけが映る。商業的に収益が見込める日本に不愉快な思いをさせたくないという、どうでもいい配慮が働いたのではと邪推させられてしまう。
1905年でルミエール兄弟は映像からきれいに撤退してしまう。この経緯がどうだったのか私は読んだことがなくネットを探っても出てこない。これもこの際だから教えてほしかったが、興を削ぐような事情だったのだろうか。以下、登録のない作品の感想。
「少女と猫」これは素晴らしいバストアップ。キャメラは後代の常識よりも少し被写体に接近していて、まるで纏いつくかのようだ。猫は座椅子に固定されている少女よりも手間にいて巨大で、フレームアウトしてまた戻り、フレーム外を気にし続けていて、毛並みがとても艶やかに映っている。餌やりだけに専心している麦藁帽の少女。ルノアール印象派のようだとナレーションが語る、プルーストっぽい有産階級の日曜日。
「託児所の乳母車の行列」リュミエール工場出口ほか、群衆が通り過ぎた路上に犬を最後に走らせるという〆のテクが何度か使われている。本作もこの変奏で、乳母車で列をなして赤ん坊が塀沿いを進み、門から施設に運び込まれるのだが、最後に子供が歩いて門から反対方向、外に去る。乳母が構図の端でこれに気づき、彼女は子供を救うだろうという予感で終わる。ドキュメンタリーではなくコメディの一本に見える。
「川の洗濯女たち」が素晴らしい。は珍しく並行の構図で抽象画のようだ。上下に三層構造になっており、下から川、区切られた洗濯風景、道路、と重ねられる。船小屋のような天井付きの洗濯場で各々の作業をする洗濯女も、上部を横切る自動車も、構図を埋めるように佇む男ふたりも、テンで勝手にバラバラの動作をしており、そして川は洗濯女たちを映して輝き、滔々と流れる。
「海岸と公衆浴場」ビアリッツの浜辺の海水浴を捉えたショットの構図は、人だかりでラインが描かれ、恐ろしいほど決まっている。そのまま絵葉書に使えそうだ。海水浴も登山も流行りはじめだったとナレーションにある。
「ダブリンの消防士たち」見えない手前左、フレーム外で火事があるらしく、消防馬車が駆け、群衆が走り、全員が左に眼をやり、警官が駆けつける。素晴らしいアクション。10秒ごとに物事が起こるとナレーターが解説している。プロミオ(エジソンがアメリカからの国外追放を画策したとの逸話が語られた)撮影。その他「スフィンクス」など路上の人々を納めた作品はどれも興味深い。
キャメラに気づき、キャメラを見つめる人(子供が多い)という主題が自然発生している。このアクションはスパイ映画に応用されただろう。キャメラを見つめるという行為はそれだけで不吉なところがある。チャップリン『ヴェニスにおける子供自動車競争』が想起される。一方、曲馬団の曲劇の記録の類はいかにも19世紀的、清水宏『風の中の子供たち』他でサーカスに売られた子供たちの仲間が登場するのだろう。
「アスファルトで舗装工事をする労働者」バケツと鏝でするフランスの道路舗装、黒人が登場し、鍋と路上から朦々と白煙が吹き上げる。ネットでは有毒ガスだと出ている。後方で紳士たちが見物しているのは構図作りの演出だろう。
「寺院の前で小銭を拾う安南(仏領ベトナム)の子供たち」。総督夫人と娘が笑いながら鳩の餌のように銭を投げ、大量の貧民の少年たちが石畳を右往左往して拾う。白人は善行と信じているのだろう。「植民地主義の正体を暴く衝撃的な作品」と解説される。まさに衝撃的だった。
「阿片窟」という横臥して阿片吸っている男女を捉えた作品もある。撮影はヤラセらしいが器具などは正確なのだろう。これも中国ではなくてベトナム。阿片は仏総督府の収入源だった由。隣国でイギリスとおんなじことしていた訳である。本作の解説は研究成果をユーモアで包んで提供してくれて好感度高いのだが、この足裏をこちらに向けて寝転ぶふたりをオヅ的だというナレーションは無知で顰蹙ものである。
「ピストルによる決闘」メキシコのピストルの決闘は手前の敗者が倒れ、勝者は立ち去る。これは驚いた。人が死ぬフィルムを見たのは初めてだ。死者が出た翌日の再現だったという解説がはいって二度驚いた。当地で上映反対運動があった由。文化的後進を外国から指摘されると上映反対運動が起きるのは『靖国』などと同じいつもの事態である。
車の後方に積まれたキャメラについてくるベトナムの子供たちの零れる笑顔を捉えた一篇(タイトルが判明しない)はローアングルが決まっていてとても愉しいが、上記文脈からするとどうだという気がする。素っ裸の子供もいる。撮影者は犬っころと同じと考えていたかも知れない。
アゼルバイジャン、バクーの油井の火災(これもタイトル不明)は火炎と煙が物凄いスピードで上昇し続け。チェコアニメかと見まがうほど禍々しい。タイトルは判らなかった。「金魚鉢」は球体の鉢に光が絶妙に溢れる。ストローブ『』は本作の引用なのだろう。
「水撒き人」のような演出された喜劇も幾つもある。兵隊が子供に代わって雑誌に熱中する子守りの手を取るという「子守り女と兵隊」はバカバカしくていい。しかし総じて演出と構図はイマイチ。ドキュと比べるとチープさが意識されている。トロンボーンでの木挽など珍品の世界。
しかしトリック撮影にはいいものが多い。驚異的なのは「自動車事故」。意外と上手な編集で自動車に轢かれた人がバラバラになり、また人間になる。キートンは影響を受けたに違いない。「陽気なガイコツ」はストップモーションアニメらしく、操り人形のガイコツがカンカン踊りを披露する。「蛇のダンス」の衣装が虹色に刻々変化する彩色はとても美しく、本作屈指の出来。ロイ・フラーというダンサーの舞踏。
下記サイトを参照しました。 https://sentence.exblog.jp/28531571/
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