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[コメント] 2重螺旋の恋人(2017/仏)

「他者とは、可能的な世界である」(ジル・ドゥルーズ)。では、その他者がDoubleであったなら?
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







マリーヌ・ヴァクトが長髪に鋏を入れられるシーンから始まる理由が示されていたのは、恐らく、彼女がジェレミー・レニエをペニスバンドで犯すシーンだろう。思えば彼女は、乳房の膨らみが控えめで、裸体でベッドに横たわる姿も中性的。性差すら、鏡や螺旋や双子のように、入れ替わりの構造の内にある。実際、双子だったのはレニエではなく彼女自身であり、それをレニエに投影していた(ようだ)。彼女を悩ませていた腹痛は、嚢腫と化した姉という生理的な原因によるものであって、心理的なものではなかった。だがこの姉は、ヴァクトの内にある凶暴性と欲望のメタファーでもある。これは映画なので、肉体的なものも心理的なイメージとなるのだ。妊娠したと思っていたのは、自分が生まれる際に犠牲にした姉だった。生命を孕むことと殺害との一致。

それにしても、フランソワ・オゾンの作品を全て観てきたわけではないが、こんなダサい画を撮る人だったか?と驚かされるシーンが幾つかあった。監視員ヴァクトのアップに現代美術のイメージが重なっていくシーンは、なんだか急にベタなのが来たなと思いつつも、まだ見過ごせた。が、幼いレニエ兄弟が暗中で延々と格闘する空想的なシーン、子供が出てくるので『Ricky リッキー』を想起させ、なんだかシュールな可笑しさを感じつつも、これはこれで面白い演出かとやり過ごそうとしたのだが、この兄弟が真顔のヴァクトを両側から挿んでチュッチュするに至っては、こんなマヌケな画を平然と出してくるのかと呆れた。ベッドシーンでヴァクトの開かれた口にカメラが寄っていき、その奥の暗がりに突入し、声門が震えるのが映し出される。明らかに陰唇のメタファーだが、こんな安直かつ下品な画を、気を利かせたつもりで挿むバカさ加減は救いようがない。これをユーモアや皮肉として受け取れるようなタイプの作品でもない。

ラストシーンでは、レニエとベッドで幸せに交わるヴァクトを、「姉」が見つめているのだが、私も入れてと言うように窓ガラスをドンドンと拳で叩き、突然、ビシッと蜘蛛の巣状にヒビが入る。まるで幽霊が物理的に侵入してきたようで、ドキッとさせられた。だが、ガラスが粉々に割れるイメージがそのままエンドロールへなだれ込むカットがなんともCG臭い安っぽさ。最後の最後でこれかと。全体通してはまあ、洗練された、と評していい画が保たれているだけに、所々で信じがたい低センスの画が出てくるのには苦痛を覚える。オゾンは現実から離れた夢幻的なイメージを操るセンスが欠けているんだろう。

いかにもフランスらしい、幾何学的で整然とした心理ドラマ。ジャック・ラカンの精神分析理論などを連想させる。全てが予め理論的な構造に収められていたようなつまらなさは否めない。ただ、自分が生まれた時に吸収した双子というアイデアは、私が私として生きていく上で犠牲にし抑圧している、可能性としてのもう一人の私に、生々しい実在感を与えている。観終えたあと、自分の中にもう一人の自分を抱え込んだ感触が残る。「貴方といると彼のことを想い、彼といると貴方を想う」。ヴァクトがレニエに告げるこの言葉は、或る可能性を選ぶことで、その反対への欲望が駆り立てられる逆説を語る。

(評価:★3)

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