[コメント] 判決、ふたつの希望(2017/レバノン=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
裁判後半の「我々はこの手の映像に慣れてしまった」という言葉がずしりと重く感じられた。
観ている途中に舞台になっている国・レバノンの国名を時々、失念してしまいヨルダンとも混同しそうになる程度の知識しかなく、中東というとアメリカ映画やヨーロッパ映画を通して、それもアクション系やスパイ系の映画が多くて、本作を観て中東の姿、パレスチナ難民の姿とその人たちがいるアラブ諸国の姿を知らなかったことを痛感した。
それでもこの映画が響くのは、イスラエルとパレスチナと難民を受け入れているアラブ諸国という複雑な関係を、その具体的な歴史が一人一人の人間に何を背負わせているのか、生身の人間の物語に見事に昇華させているからだろう。
大統領との面談の帰り、車の不調をめぐるエピソードは、キリスト教徒とかパレスチナ難民とかの「属性」をとっぱらってしまえば一個の人間同士として付き合えるのでは、みたいな思いも生じた。
また応酬が激化する裁判でのやりとりの中で、そこまで言うのは本意ではないのにと、互いに思いやるかのようなそれぞれも視線も印象的だった。
しかし、それでもこの映画は裁判を取り下げる、裁判外で和解するとか決着をつけるとかいう結末はとらなかった。
一個の人間というのは、その背負った歴史、歩んできた人生を抜きにしてはあり得ないということを改めて教わったような気がした。そしてその事を土台として、互いの生きざまに敬意を払い、人として尊重する、その先にこそ希望があるのではと感じられた。
本作の原題「INSULT」は「侮辱」という意味らしい。確かにこの物語は「侮辱」から始まり、なぜそれが「侮辱」に値するのか、そしてその行為の根底には何があるのかということでもあった。
でも本作のラスト、判決を受けた二人の表情や姿を観ていると邦題が実にしっくりくるようにも思える。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。