[コメント] へレディタリー 継承(2018/米)
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寝室のミニチュアにカメラが寄って行くと、父が息子を起こすシーンにシームレスにつながる。これは「シャイニング」の、迷路のミニチュアを呆然と眺めるニコルソンのカットから、ミニチュアを俯瞰で眺めるカット、ズーム、迷路で遊ぶ妻子のシーンへのオマージュですね。単にシーンとして似ているということだけではなく、俯瞰で、「そこにいないはずの何者か」が「観察」している、事態をコントロールしようとしているという「視線」の存在を感じさせる意図があるという点でも良いシーン設定だ。 「視線」という意味ではステディカムも使用されるが、これも、死んだはずの母なり、それを取り囲む悪意が「追随し、監視している」ということを感じさせる点で相似しており、的確だと思う。 「働け!」というメモも、「仕事ばかりで遊ばない。ジャックは今に気が狂う」からの着想だろう。
そして、やはり悪魔は憑くべき者に憑く。『エクソシスト』で悪魔に憑依される少女リーガンは、健全そうに見えるが母の交際相手への強い憎悪や母への不快を抱いていて、そこから発した狂気かもしれない、というグレーさが面白さの根幹にあった。神父にも悪魔の種があったことが描かれている(神への不信、ホームレスへの憎悪)。『シャイニング』も、ニコルソンの狂気は家族への潜在的な疎ましさ、憎悪に発しているのである。悪魔はここに付け入るのだ(あるいは外的な「悪魔」など介在しなかったのかもしれない)。本作はこれらの古典がきっちり踏まえられた作劇であり、ここの突き詰めは実に不愉快だが、古典を超えるレベルでまったく蠱惑的に素晴らしい。正しく家族とは牢獄である。そこで煮詰められた、家族に殺されるという恐怖。或いは「殺してしまいたい」「いなくなって欲しい」という自らの引き裂かれた思いに気付かされてしまう疾しさ(例えば、父は、娘が亡くなって内心ほっとしていたかもしれない)。この点、本作のピークは息子の寝室でコレットが息子の腐乱死体の幻想を見て、気配に飛び起きた息子に過去の殺意を告白するシーンだろう。あのレベルで離婚しないのも不可解だが、DV被害者の多くが逃げる気力を失っていたりそもそも逃げる気がなかったりする呪縛状況に似ていると思えば合点がいく。
ところが、そこが恐怖の主眼に見えてオカルトにギアチェンジすると今までのはなんだったん?という話になり、あとはこちらのレビュアーの皆さんが書かれているとおりです。(この監督、自分の創作物のどの辺が一番面白いのか、たまに忘れるようなのです。『ミッドサマー』でも感じたことですが、、、)もっとグレーにするべきで、娘の落書きは母が真似て描いた体にしたほうが面白いし、首なし死体の浮遊シーンやスパイダーウォーク、母が自ら首切るシーンは要らないですね。ジョーンに自らの首を差し出して切ってもらえば良かったと思いますよ。自殺願望があったのだから、「これで良かった」とか感謝の辞を述べながら。あ、でもオカルト系演出の点で言えば、母の全力疾走シーンはすっげえ怖かったです。それに息子が王になるのは、恐怖と憎悪に晒され続けて、世界への憎悪そのものになった (継承されたのは「憎悪」)だと思えば、それはそれで良い結末なのかもしれません。この点はdisjunctiveさんご指摘のように黒沢清的かもしれませんね。
※1 念のため述べますが、私は家族好きですし、心から感謝して生きています。
※2 ペイモンのシンボル(シジル)は本当にあの形のようです。これだと、見る人が見るとすぐ分かっちゃうでしょうね。葬式シーンからいきなりこのネックレスしてますし。
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