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[コメント] 砂の上の植物群(1964/日)

微妙なバランスで積み上げられた映像の空中楼閣。
地平線のドーリア

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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傑作。

中平康がこれからも不当な過小評価され続けても、これは昭和三十年代を代表する作品として輝き続けるだろう。

とにかく異様な緊張感に満ちたフィルムだった。 まず、役者の芝居を撮るのに、フルショット、ミディアムショットが極力控えられている。 圧倒的にアップが多い。 頻出する顔のアップ以外にも、唇・足元の靴・鞄・腕のあざ・一滴の乳など。 それから、現実音がほとんど省かれている。 時には、役者のセリフが途中から無音になる。ラスト、京子と井木がレストランで食事をする場面で 唐突に客たちの食事をする音が響き渡り、さっきまでいなかった客たちが現れる。

このことは、彼の狭い世界、視野の狭さを現している。 女と友達のこと、それから書きかけの推理小説にしか関心が無い。 小説は未読だが、小説の一人称的な世界観を映画で表現するとこうだろう、という中平の声が聞こえるようだ。

電車の中で、ガラスに映った自分=自分の中にいる父に突然叫んでも、回りの乗客のリアクションなどは写さない。山田という床屋の鏡の前で叫んでも、山田のリアクションは省く。こういうところにもそれらは現れている。

しかし、よく分からない。結局、彼の妻は彼の父と関係があったのか…? 京子やアキ子との関係によって、特に妻との関係も変わっていかないし、およそ戯曲的な構成ではない。 やはり、小説的な構成・展開を活かしつつ映像化したものだが、文芸作品にありがちの退屈さはほとんどない。 結局のところ、井木の精神的な彷徨を描いているだけと言えるのだが。 クレーの画と物語もかけられているようではあるが、(特にラストの画)、しかし、だからといって、ああなるほどというほどの絵解きがされるわけでもない。

微妙なバランスで積み上げられた映像の空中楼閣だ。論理的に組み立てられているわけでもなく、一本筋が通っている訳でもなく、何かセンスとテクニックだけで組み立てられているかのようだ。

仲谷昇は言うまでもなく、西尾三枝子や小池朝雄など役者は魅力的だ。何より、稲野のうますぎる喘ぎが圧倒的であり、エロい。 裸そのものが全く見せられないが、この方が絶対にエロい。

テクニック・演出はハイブローとしか言いようがない。アップが多用されているが、アングルも鋭く、照明も陰影があり、硬質で、画は力強い。

ラストのエレベーターのカットは圧倒的だった。できれば、「閉」のボタンのアップをインサートしないで、そのままワンカットでやってほしかった。すごいカットだ。二人は瞬きを全くしない。しかし、どういう気持ちなのか、これからどうなっていくのは全く分からない。だけどすごい。

(評価:★5)

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