[コメント] わたしの名はジン(2013/トルコ=独)
ちょうどアフガン侵攻も戦火たけなわの頃に、ナショジェオの表紙を飾って一躍有名になった例の難民少女のポートレイトにも匹敵するインパクトのあるイメージだった。
後でわかったことだが、それはシンジャール山脈一帯に住むヤズィーディ教徒の家族だった。彼女らはイスラム教徒でないので、ISの恐怖支配の手が伸びてきたときに(***)、奴隷になるか死を選ぶかという不可能な選択を迫られて、着の身着のまま故郷を逃げ出してきたのだという。これも後に明らかになるのだが、男たちの多くは同じ日にトラックで連れ去られて二度と家族のもとへ戻って来ることがなかった。同じ写真に再び目を向けると、道の先に女子供が歩いているが、成人男性の姿が一人も見当たらないことに気づく(と思ったら私の勘違いでした)。
この映画の脱走兵の少女の顔にも、同じような疲労の翳りと、決意の漲った眉宇の固い線、明日の命運も定かでない者の弛みのない不安と緊張の震えが焼きつけられている。興味深いのは、さすがに山岳民族の娘というのか、険峻な山肌を都市生活者からすれば心配になるような軽装で走破してゆくことだ。鳥の鳴き声を聞きつければ、するすると木をよじ登って巣のなかの卵を見つけることなんぞお茶の子さいさい。どこへ行っても水の在り処が常に念頭にある様子だ(地勢から読み取れるのだろう)。仮寓に選んだ洞窟のそばで熊や虎などの野生動物と鉢合せになっても冷静なものである。このへんがどの程度クルド人のサバイバルスキルの実態を反映しているのか知らない。少なくとも、実話に基づいていると言い張る『ローン・サバイバー』のマーク・ウォールバーのように、何十メートルもの高低差を数度に渡って滑落しておきながら、無事に追手から逃げ切るような超人的な身体能力の持ち主ではないことだけは確かなようだ。。。
さて、一刻も画面から消えてくなることがないヒロインの造形だ。一面では、辺境の不毛な民族紛争によって青春を奪われた少女の憐憫を誘うポートレイトにも見える。それでも、代々周辺民族によって山賊扱いされたり、血も涙もない野蛮人のような評判が人口に膾炙されたりしてきた人々の気質をしっかりと描いているところが面白い。丘陵や森の細流で二度に渡って出会う男を、虫も殺せないような無害な牧夫に過ぎないというのに、恫喝して追い払うところ。山麓で見つけて押し入った家で、寝たきりの老婆の苦情も意に介さずに平然と盗みを働き続けるところ。検問に引っかかって押し込められた牢屋で、被弾して塗炭の苦しみにある同胞と短い時間を共にする場面があるが、古今無類の誉れ高いアマゾン族の女戦士もおいそれとは試みないような壮絶な処置を求められる。。。。
逃避行の途上ですれ違う人々も、それはたいてい女性か同様に虐げられる立場の者に違いないが、わずかな台詞しかないにもかかわらず、印象的なパートを与えられているものが多い。理不尽な運命をじっと耐える小作人の女性が返す弱々しい微笑み、臨終間際のゲリラの気息奄々たる表情、不条理な状況を前に天を仰ぐしかない老人の仕草、。。。。言葉にされない同情やいたわりの身振りのほうが、縷々として積み重ねられる言説よりもよっぽど多くを伝えることができることをこの監督=脚本家はよく弁えている。
上映時間の大半は、ヒロインの少女の孤独な所作を追い続けることになるので、よほどの工夫がないと観客を飽きさせてしまうことになるがそのへんも手抜かりはない。『美しき冒険旅行』の一部を彷彿とさせるアナトリア東部の山地のシーンが連綿と続くが、実際に山のなかに入ってしまうと一日に数度見れるか見れないかの絶景が屏風の絵のように次から次へと繰り広げられる。行く先々で逢着する動物たちとのやり取りも、ともすると重々しくなりがちな題材を、軽妙かつユーモアに富んだタッチで和らげる役割を果たし、子供向けの昔話や童話のように大自然の無垢の眼差しと戯れる余裕さえ見せる。
7.5/10
** https://i.imgur.com/ALu67Sd.jpg
あれから、もう、5年が経とうというのに彼女のその後の消息をオンラインで見つけることができない・・・同年のSinjar massacreを生き延びたことを心から願う(2019.3追記)
*** 地図で見ると、シンジャールの町は、モスルから100キロ余りしか離れていない。舗装道路が一直線に続いているので車だと2時間もかからないだろう。それより7年ほど前に、モスル近郊で、ヤズィーディ教徒の少女が、ムスリムの少年と関係をもって改宗したというので、村の広場に引きずり出されて石打ちの刑で殺される事件があった(詳しくはMurder of Du'a Khalil Aswadを参照)。恐ろしいことに30分余りあるリンチ殺人の動画がネット上にアップされてしまい、それが後々まで地域のスンニ派住民にとって深い遺恨の理由になったことは容易に想像がつく。実際、この事件のせいで、近隣のヤズィーディ教徒は度重なる自爆テロの標的になったようだ。2014年に起きたことを考えると、それでも血に濡れた復讐の渇望は飽き足らなかったと見える。
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