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[コメント] バーニング 劇場版(2018/韓国)

この全てが曖昧なサスペンスがロブ=グリエ流のゲームだとしたら今更だし、パゾリーニ流の挑発だとしたら何を挑発しているのか判らない。要は吉行淳之介みたいな朦朧系だ。イ・チャンドンまさかの失速。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ヘミの消失はベンの仕業なのか。ベンは最後まで尻尾を出さない。意識的か無意識か判らない地点でジョンスを揶揄う。ベンの部屋からヘミの腕時計が出てこようが、猫がボイルと呼んで反応しようが、もちろん確証ではない。ベンの繰り返す「近すぎて判らない燃やされたビニールハウス」とはヘミの暗喩のようだが確証はない。

映画自体も観客を揶揄う。『死刑台のエレベーター』の音楽は、本作でエレベーターが出てくるのはベンのマンションだけだから、ベンが殺人犯だと匂わせているのだろうが、確証はない。ヘミのカードローン地獄という町の噂も井戸の存在とともに信憑性がない。

全ては曖昧である。曖昧の連発はジョンスを意味に誘う。しかし、意味という病に狂い行くジョンスの『テオレマ』系のラストは、ビニールハウスの代わりにポルシェを燃やす処にベンの狂気の感応があること、及びパゾリーニへのオマージュであることだけは確かだが、ヘミの復讐なのかすら曖昧だ(彼女は性的代用品に過ぎないとオナニーで示されているとも取れる。「娼婦」と云われてヘミが姿を消すという思わせぶりもあった)。

作者はサスペンスをどこにも着地させず、意味不明のまま幕を閉じている。本作は思わせぶりを愉しむ回収不要の無責任な不条理劇なのか。吉行とか村上春樹の「奇妙な味」とはその程度のものですでに磨り減っている世界だが、まさかイ・チャンドンがそんなことはするまい、という信用は捨て難い。

とすると結局、貧富の差というテーマで捉え直すしかない。「ギャッピー」であるベンに対して、北朝鮮国境傍の村に引っ込んで親の畜産業の後始末をするジョンスが対照され、二人の間を村から飛び出たヘミが往還する、というのが物語の構造だろう。しかしこれが薄い。チャンドンの過去作と比べれば余りにも単純でお粗末である。

例えば、ヘミが回想する井戸の存在を近所の住人は否定するが、十数年振りにジョンスの前に現れた母親だけは肯定する。不幸に陥り村を去った者だけが井戸を覚えている、ということなのか。しかし、この解読に見合ったリアルを本作は用意できていない。過去作はこれが見事だったのに。井戸とは何のメタファーなのか追及されず、そもそも井戸を映そうともしない。記号はばら撒かれるだけで回収されない。

その他、全般に撮影が弱い。ヘミのダンスの件は傑出しているが、比較して他が弱いのが目立ってしまっている。一度も姿を現さなかった猫がベンのマンションではじめて現れる。この「奇妙な味」な技法自体も想定範囲で磨り減っており弱いのだが、この猫が呼ばれても反応しないショットと、ボイル(これも曰くありげなだけの名前だ)と呼ばれて寄ってくるショットは、繋ぎなしで撮られないとリアルでない。これは動物使いの基本だろう。間にジョンスの顔を挟むような退屈な編集をしては空々しいだけだ。全般に『万引き家族』のキャメラの方が断然いいのであり、カンヌで負けたもの当然と思われる(そも、『万引き』の方がイ・チャンドン的である)。

北朝鮮は何だったのだろう。南の発展に対し、閉塞する農村のさらに北には北朝鮮がある、という地政学なのだろうが、そのスタンスもまた曖昧である。云いたいのは、北と隣接する村の不穏な空気であるのか、それとも抑圧される北の住民も含めたシンパシーなのか。作劇が朦朧系でも、ここだけは明快にすべきではないのか。北朝鮮の政治放送はヘミのダンスの件でしか聞こえてこないし、放送内容も判らない。これを大フーチャーして、例えばラストでも流すべきなのではないのか(音響的にもそのほうが愉しかろう)。ここが曖昧では記号のつまみ喰いの誹りを免れまい。

多分、それができない作風なのだ。イ・チャンドンは昔の純文学の小説家のタイプなんだろうと思う。社会や政治を直接語るのを嫌い、暗喩や寓意で語りたがり、なかでも性的比喩を好む。これが彼の過去作では撮る度にホームランの離れ業に至ったのだが、本作ではひ弱さばかりが目立った。『タクシー運転手』や『1987』など、旗色鮮明な大衆的政治映画が成果を上げる昨今、彼の高踏的な手法は時代遅れになっているという感想。もちろん、白黒明快でない部分を掘り下げるスタンスは尊重されねばならないが、それで出てくるのがゲームの駒のようなジョンスでは仕方がないのである。一言で云えば期待外れ。俳優は3人とも見事。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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