[コメント] 僕たちは希望という名の列車に乗った(2018/独)
旧東ドイツの自由への圧迫と密告体制はこうしてつくられていったのかとぞっとさせる。多感な高校生のちょっとした反感からの行動を「国家の敵」としてとらえ、徹底的に追いつめていく。そのやり方は、ファシズムと社会主義でも違いはない。
ということはということは、資本主義や西側社会でも違わないということではないだろうか。
権威に従わず、集団的な同調行動ではなく、自らの頭で考え、自らの決意、覚悟と責任で行動した者は、文字通り責任をとらせ、排除していく。1950年代半ばの旧東ドイツ体制下での物語だが、現代に通じる部分も多いと思う。
本作で一番印象に残ったのは、あの女官僚が登場して最初の方で発した「健全な反骨精神なら許せる」という趣旨の言葉だ。言葉の本来の意味からして完全に矛盾していると思うが、そういうものがある、あるいは認定しうるというのが、支配者の感覚なのだろうなあ。
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