[コメント] ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「長編10本撮ったら引退する」と公言しているタランティーノの9作目(『キル・ビル』は2つで1本扱い)。 前2作『ジャンゴ』『ヘイトフル・エイト』が西部劇だったわけですが、「実はウェスタンが好きなんじゃなくて西部劇ドラマが好きだったんだ」ということにタランティーノが気付いたんじゃないかと思うような一作。日本的に分かりやすく言うと「本格ミステリーじゃなくて2時間サスペンス好き」みたいなことだよね(<そうか?)
この映画、「皆さん“シャロン・テート事件”はご存知ですよね」という前提で進められます。 あたかもポランスキーの隣人の目を通して事件を描写するような作りですらあり、事件を全く知らないとこの映画の面白さは半減することでしょう。 実際、ポランスキー邸の様子を怪しい人間が窺い(前の住人とチャールズ・マンソンの間にトラブルがあったと言われている)、家出少女をLSDで洗脳し男を誘惑させて信者を増やしたと言われるマンソン・ファミリーの一端を(意外と丁寧に)描写します。 そしてシャロン・テートは映画館で自身の出演作を鑑賞し、観客の反応を目の当たりにして喜びます(いわゆる死亡フラグですな)。
シャロン・テートが映画館で(わずかばかりの)自己キャリアの余韻に浸っていた頃、時を同じくしてディカプリオは落ち目の自分を認識し、天才子役少女に刺激を受けながら、発奮した熱演で再起の足がかりを掴みます(アル・パチーノの枯れない魅力!)。一方その頃、ブラッド・ピットは(この映画のブラッド・ピットは無駄にかっこよすぎる)かつてスタントマンとして輝いていた旧映画村に足を運びます。 そんな栄枯盛衰と邂逅した3人がそれぞれ帰路につく夕暮れの西海岸。車から流れる曲は「夢のカリフォルニア」。なんてグッとくるシーン。 俺は泣いた。これから訪れるシャロン・テートの運命。いつか壊れるであろう男二人の友情。果たされない未来を勝手に想像して俺は泣いた。
嗚呼それなのにそれなのに。 『イングロリアス・バスターズ』でも史実を曲げたタランティーノは、148分かけた伏線をわずか13分で“ネタ”に変換してしまいます。思わず「ええっ!?」言いましたよ。映画館で。 ある意味パラレルワールド。あるいは『パルプフィクション』。
しかし考えてみれば、我々はタランティーノの「善悪の判断基準」を充分に知っているはずだったのです。
私は『デス・プルーフ』で気付いたのですが、その容赦ない殺し方の裏には、殺されるべき人間がきちんと伏線として描かれていたのです。簡単に言えば、殺される人間はちゃんと悪人として描かれている。逆に言えば、タランティーノの映画で理不尽に殺される人間は(ほとんど)出てこないのです。 この映画のマンソン・ファミリーは、他人の土地を不法に占拠し、怪しげな共同生活を送り(ダコタ・ファニング!)、ブラッド・ピットの(正しくはディカプリオの)車のタイヤをナイフでパンクさせ(そして後々ブラピの脚にナイフが刺されるという天ドン)、性的誘惑する未成年(プッシーキャット!)、そして理不尽な理由で人を殺しに来る。盲目はどっちだ!
もしタランティーノが彼の道徳観に従ってシャロン・テート事件を正確に描こうとしたら、彼女自身を「嫌なオンナ」「殺されて当然」として描かない限り、タランティーノはシャロン・テートを殺せないのです。 むしろこの映画は、シャロン・テートを惨殺した悪(広義に解釈すれば理不尽に人の命を奪おうとする暴力)に対するタランティーノの鉄槌映画とも考えられるのです。
(19.09.15 TOHOシネマズ渋谷にて鑑賞)
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