[コメント] Gのレコンギスタ I 行け!コア・ファイター(2019/日)
自分はTV版を通して最後まで観ていた人間であり、だからこそはっきり言えることは「これは面白くない。まして現代っ子になどウケるわけもない」ということだった。子供を馬鹿にしてはいけない。老人の織りなすユーモアなどに一顧だにしない子供たちを相手に、これは「子供へのメッセージ」などと大声で呼ばわっても踊る子供はいない。
…だと思っていたから、映画版のポスターにはゲッソリした。すべて等価値であるキャラクターたちが(Gセルフなる主役ロボも含めて)空に浮遊しながら好き勝手にダンスポーズを決める姿の羅列。『どですかでん』かマルク・シャガールの絵か。天才扱いに自惚れた通俗作家の勘違いの産物にしか見えない「疑似児童画」。
勘違いしないで欲しい。『海のトリトン』や『ザンボット3』が中高生にウケたのは、児童アニメにありがちな「大人の正義観」の否定と問題提起ゆえだ。『ガンダム』や『イデオン』を支えたのは、子供だましの巨大ロボアニメに仕組まれた大人をも唸らせる重厚なドラマだ。原点回帰というなら、振り返られるべき富野監督の原点は間違いなく『ドラえもん』や『アンパンマン』の世界ではない。背伸びしたい少年少女に愛される、大人の世界を垣間見られる戦闘物語だろう。
だから自分は、この映画をやぶにらみに見た。その結果、感じたのは「思ったよりよくできている」という驚きだった。『クレヨンしんちゃん』の打倒をモチベーションにする、なんて寝言とは無縁の描写に裏打ちされた冒険物語だ。その意味で「見られる」展開と、とりあえず判り辛さを徹底的に書き換えた平易な語り口は好感が持てた。
だが、なおも思う。これは子供向きなのかと。活劇アニメで女性を前面に出した先見性はむかし時代の先取りといわれたが、ファンはそれは富野の好色趣味からだともう気づいている。そして子供は小洒落たコメディなど求めてはいない。大抵の子供はドリフのような下品なギャグと暴力とエッチを喜ぶ。こんな上品でウィットに富んだドラマは、子供にとては退屈で仕様がないだろう。
ヲタクが大嫌いな富野監督だが、哀れにもその作品のファンの大半はヲタクだ。その冷厳な事実は監督はもう噛みしめてしかるべき時期ではないだろうか。富野監督が望もうとも彼は宮崎駿にはなれない。でも、それはそんなに不幸なことだろうか。自分はロボットバトルの名匠と呼ばれる彼が、無冠の身ながら諸外国にも知られる存在であることは誇るべきことと感じられてならないのだ。
この作品を評価するのは、やはり筋金入りのヲタクだけだろう。
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