[コメント] 生まれながらの悪女(1950/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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序中盤は彼女にどこまで悪意があるのか判らないし、映画は観客に判らせようとしていない。到着日程をわざと間違えて前日のパーティに参入するぐらい、田舎の娘なら許してやればいいとも取れる。にこやかにしていても、ひとりになるとパッと表情を無くすショットに不思議が提示される。彼女は「愛してと頼んだことはないわ」とロバート・ライアンに云う。彼女は徹底して受け身である。自分の美貌を知って男を誘う女。本心は判らない。恋とはそういうものだろう。これが悪意を持っての仕掛けかどうか、誰に判るだろう。本人にも判らないのかも知れないではないか。このニュアンスに惹きつけられるものがあった。
しかし後半、映画はこの線を破棄し、フォンティーンを悪女と判明させる。こうなると話が分かりやす過ぎてダサくなり、エンドタイトルを待つだけの時間帯になってしまった。彼女が結婚後に叔母のヴァージニア・ファーマーを実家に追い返すのは、あんな大邸宅で必要なのか不明。そして叔母の病気を見舞わず、あまつさえライアンとの逢引の云い訳に使って自滅する。叔母が本当は死んでいたというオチだが、思慮のないアリバイ作りで面白味に欠けた。
本作は原作もので、たぶん物語を追いかけて腰が据わらず、破綻している処が多い。フォンティーンが学校を止めたのは最初は画家のメル・ファーラーにだけの内緒のはずがいつの間にか周知の事柄になっているのが簡単すぎるし、富豪ザカリー・スコットの婚約者ジョーン・レスリーへのネックレスを選ばせてふたりを喧嘩させる件は判りにくい(ネックレス持って客に付いて行く店員がコミカルだが)。そして彼女は富豪と結婚しても慈善事業などして、まあ夫と一緒にいたくないのだろうが、他に何をしたいのかも判らない。何もしたくない、ということかも知れないが、昼まで寝ている訳でもない。
フォンティーンのドレスが白から色付きになり最後に黒になる。どれにも魅了されるが、ちょっと空々しい演出ではある。バカバカしいのがラストで、ジョーン・レスリーはザカリー・スコットと再婚する。プロペラ機でアツアツ。男がこんなに軽薄だと判明しても、女は金持ちの元に戻るのだろうか。映画は自作が何を提示したか判っていないのではないのだろうか。原作はハーレクィン・ロマンス系に違いないと思われた。
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