[コメント] 大日向村(1940/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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プロパガンダは何重にも装飾されている。まず村の貧しさが強調され、杉村春子の亭主と息子は早朝から深夜まで働いて会うこともできない。村に人が多すぎるのだと主張される。「狭い土地に人が多すぎる」「日本の農村全般に言える」明治は人口が半分だったと。なら満州へ半分移住すればいい。寄合でお調子者がとても簡単に決心する。すぐに出る核心の問題は「借金はどうする」。これは最後まで引っ張られるが村が仲介することになる。村長が良い役、悪役は油屋なる商店で材木業を仕切っている。資本の暴走が批判されるのはナチとユダヤ人との関係とパラレルだろう。
中盤、映画は満州を見せる。アメリカの農場のようで広いこと広いこと。稲刈り機に脱穀機のオートメーション、集団農場、豚も羊も飼われて小学校もある。その報告会で「満州の土には日本人の血が染みこんでいるから沃土なのだ」をすごいことを責任者が語ると、婆さんが泣いて日露戦争で倅が死んだ遼陽へ行きたいと云いだす。戦争による止まらない負の連鎖。映画は前後あまり関係なく通州事件の新聞記事をインサートする。「恨み深し! 通州暴虐の全貌」等々。満州へ行くのは侵略戦争に参加することだ、という点を映画は強調しないが、聖戦の一環だとは匂わせており、この辺微妙なタッチがある。
最後のすゑちゃんの自殺(私が足枷で満州に家族が行けないので死ぬ。私の骨も満州に持って行って)は無茶苦茶だが、じゃあどこまでが正しかったのか、本作は全部無茶苦茶である、と自ら晒している具合で、これは製作者の仕掛けのようにすら見える。ナルセの『浦島太郎』も書いている八木隆一郎とはどういう人だったのだろう。映画自体は『小島の春』同様に充実している。やはりなだらかな斜面を撮らせるとこの時期の豊田は一流、中腹の炭焼き小屋から大量に流れる煙の美しさ。
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