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[コメント] 最後の突撃(1956/日)

水木しげる「総員玉砕せよ!」で有名なズンゲン玉砕が描かれる。水木も参照にした原作の映画化で、込められた思いは正反対に見えるが、ともあれ水木ファンは必見。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭の敵軍の砲撃は記録映画からだろうが、この迫力が凄い。逃げてきてしまった軍医の大坂志郎の述懐を補足している。「砲撃は熾烈を極め、頭も上げられない。二、三時間じっとしているだけ」「斬り込みは意味をなさない。ここで死んでは詰まらない。一度後退して陣員を立て直そう」「勝ち戦で玉砕してこそ死ぬ者も浮かばれます。人間の乱費は作戦と云えますか」「私はこのような戦争をしている国に生まれたことを呪います」大坂は自決する。この報告はそのまま水木しげるの認識だっただろう。

しかし映画は別の認識を示している。玉砕命令に背いて生き延びている兵は敵前逃亡の罪で死刑相当になってしまう。水島道太郎の上官は、もう一度斬り込みだ、再び立ち上がる力を兵に与えねばならないと、現地に乗り込んで再玉砕の先頭に立つのだった。兵たちに「お前の覚悟を知りたいのだ」と叱咤し「覚悟はできております」と云わせる水島。それって誘導尋問だろうと思うのだが躊躇はない。遺品に与謝野晶子の詩集を見つけて黙読する件など、これを相対化する視点はあるし、安井昌二の自決にも微妙なニュアンスはある。しかし最後は水島のどうしようもない上司の決断が全てを整理してしまう。

10年後に現地を再訪した二谷英明のナレーション。「戦争は憎むべきであり、人間の不明は憐れむべきであるが、真実と善意は永遠に滅びることはないであろう」気持ちはよく判るつもりだが、これもまた微妙であると感じる。水島の行動は真実ではない。中間管理職のつじつま合わせが行われただけだと思われる。ただ、この感想を価値自由に導いてくれた映画は立派なものだと思う。

(評価:★4)

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