[コメント] 火宅の人(1986/日)
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どうして映画監督の晩年は“文化人”のレッテル欲しさにうつつを抜かすのか。この作品がスクラップ&ビルドだとしても、いただけない。
原作の力を吹き飛ばす能力が備わった映画人であるはずの深作欣二監督。仁義なき戦いシリーズ以外にも獅子奮迅の猪突猛進の勢いで邦画界に、荒々しく生々しい価値観を提示したはず。その深作欣二監督なのに、この作品では「守勢に回ったのか?」を何だか特に強く感じてしまう。
静にある動、または性に常駐する動を淡々とした流れの中で描きたかったのだろう。だが、木村大作のカメラワークセンスはテレビドラマの流用チックで平坦で変化が無く、これといった冒険もせずに妥当な平均点狙いすぎるのはどうだろう?
そのカメラの構図、原田美枝子と松坂慶子の計4つのボインで支えられているといっても過言ではないはずだ。文学小説を映像化する前に、というより文字を映像にする前に、感性で原作を読んでいる時に感じ取った勢いを尊重し原作を駆逐してくれれば良かったと思う。
さらに言うと、ナレーションで進む物語に深作節はあったのか?そこは映像で語って欲しかった。荒ぶる感情を揺れる映像で語って欲しかった。
____「まだ弾は残っている」____その『仁義なき戦い』の第一作に残っていた銃弾は結局見られずじまいだったように思え、早い深作欣二監督の遠出が忌まわしい。きっと本人も最後の銃弾を放ちたかっただろうし、私自身その銃弾で仕留めて欲しかった。
2003/2/14
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