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[コメント] 星の子(2020/日)

この映画における新興宗教は、あくまでも物語を転がすギミックであって、本作の主題は「自分を大切にしてくれる大好きな両親を取るか、周囲の目を意識して(少し変わっている)両親を見放すか」だと思いました。もちろん正解などありません。「信仰の自由」という権利が保障された我が国の法制下で、本作の主題さえすり替え、頑なに宗教批判を繰り返す方が私は苦手です。
IN4MATION

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







私は無宗教です。

新興宗教に限らず、日本古来からの仏教もキリスト教も他の宗教も全てにおいて正直に言ってしまえば胡散臭いと考えています。

ただ、宗教を信仰している人たちを否定するつもりはありません。

自分に勧誘さえしてこなければ。

この国では「信仰の自由」という権利が保障されておりまして。ただ、この権利は新興宗教に限らず、宗教自体を肯定する自由も否定する自由も含まれているのは当然の理。本作はこの点において、新興宗教なるものを全肯定しているわけでもなく、否定するわけでもない。前述した当然の理として両者の立場を描いているわけです。解釈や結末をどう読み取るかはそのまま観賞者の新興宗教に対する見解だと私は考えます。

本作でちひろ(芦田愛菜)は自分の両親の信仰に疑問を抱いてはいるものの(頭に金星の恵という霊水で濡らしたタオルを乗せられることを拒み、結果びしょ濡れになって風邪をひいている描写がある)、姉・まーちゃんのように両親自体を否定するまでは至っていません。

雄三おじさん一家から救済の手を差し伸べられてもそれを拒んだのは、両親の信仰に疑問はあっても自分が両親から迫害されているわけでもなく、むしろ自分が病弱に生まれてきたせいで両親は宗教に縋ったという認識があり、それはすなわち自分への愛情だと彼女は理解しているからだと私は思いました。宗教への理解ではなく両親からの愛情への理解です。混同してはいけない点。

南先生が教室でちひろを名指しし、「紙と鉛筆、あとその気持ち悪い水を片付けろ!」と一喝するシーンがあります。大好きな南先生から自分の行動を全否定され、半べそを書きながら机の中にそれらをしまう彼女の演技はとても素晴らしく、観客の多くは主人公であるちひろに感情移入させられるでしょう。

そして、「学校は勉強するところだ、落書きをする場所でも、宗教の勧誘をする場所でもない」と言い放つ南先生に対してこう思うのです。ちひろは勧誘なんてしていないし、南先生は酷い人だ、と。

(ここであえて南先生を擁護するならば、きっと「ちひろとふたりでドライブをしていた」というあらぬ噂が原因で教頭先生に叱責を受けた直後で、イライラしていたのかもしれません。イケメンも悩みもあるということで)

新興宗教の怪しさは肌で感じつつもちひろを全否定できない観客は、非常に座りの悪い椅子に座らされたような居心地の悪さを感じます。

今までイケメンしか好きになったことがなかったちひろは、南先生に「迷惑」だと拒絶された直後に、親友・なべちゃんの彼氏・新村くんを好きになった様子が描かれています。

「なべちゃんが結婚しないならわたしがしてもいい?」「だめ」「じゃ、婚約は?」などという幼さと可愛らしさしかないやり取りで観客を魅了します。

姉が言っていた「人を好きになる」ことの意味が、ちひろにもようやく理解できたのだと私は感じました。

親友とその彼氏に、「先生が言ってた不審者は私の両親なの」と打ち明けるちひろも、「うん、知ってる」というなべちゃんも可愛いし優しい。

ちひろの両親を「河童かと思った」と言う新村くんは、正直ではあるけれども、ちひろを攻撃はしません。南先生とは違う、居心地の良さを感じたはずです。

本作は新興宗教を肯定していると評されているレヴュアーさんもいますが、もしそうなら本作はラストシーンで観客にも流れ星を見させて終わると私は思うのです。信じるものは救われるの具現化です。

だが、本作はそれをしない。

逆にちひろの「見えたっ!」すら、早く帰りたいから、両親を安心させたいから、大浴場が閉まってしまうから、両親に気を遣って言った言葉なんじゃないかと想像させる作りになっています。

どこまで健気なんだ、ちーちゃん。ちーちゃん肯定映画なんじゃないか、と。

広大な宗教施設を両親を求めて彷徨うシーンも、ちひろの心情をうまく描写しています。

ちひろは大好きな両親と一緒にこの集会に参加しているから安心していられるのであって、両親がいなくなったとしたら途端にそこは自分がいる場所ではない、不気味な場所でしかなくなるのです。

最終的に、本作は徹底的にちひろと観客の立ち位置をシンクロさせた後に、「大好きな両親を取るか、周囲の目を意識して両親を見放すか」という選択を迫る......かと思いきや迫りもしません。

後は観た人にお任せしますよというスタンスを取ります。

新興宗教を毛嫌いする人はこの映画を気持ち悪いと表現するでしょうし、ちひろは親から離れて雄三おじさん一家に身を寄せたほうがいい、と自分の価値観を押し付けるでしょう。その感想はもう新興宗教の勧誘と大差ありません。

私は、ただただ映画として題材の面白さ、演者の表現力、先の読めない展開を楽しませてもらったので★4ですが、芦田愛菜に宗教の勧誘をされたらきっぱりと断ります。

繰り返しますが、この映画での新興宗教とは、あくまでも物語を転がすギミックであって、本作の主題は「自分を大切にしてくれる大好きな両親を取るか、周囲の目を意識して(少し変わっている)両親を見放すか」だと思います。もちろん正解などありません。

(評価:★4)

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