[コメント] サイレント・トーキョー(2020/日)
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稚拙な脚本に幼稚な演出、それに乗ってしまう俳優陣。新型コロナの存在しない仮想都市トーキョー。
人物Aが説明台詞を言い切った後に人物Bにカメラが移り「…エ?」というの、やめませんか本当に。どこの学芸会だよ。映画は徹頭徹尾同様の幼児性に満ちている。場面の切替えと共に爆弾の材料が並べられた机を映し、そこで妻が「ナニこれ…」とか、首相が「戦争の出来る国にすると言っても良い」等と発言するとか、到底ありえない発言・安直な展開が多過ぎる。脚本と監督が観客を舐めきっているのは間違いないが、彼ら自身の幼児性の垂れ流しを見せつけられるのが苦痛でならない。
悪夢の始まりは映画序盤の合コン場面。中村倫也演じる感情に乏しい男はまだしも、広瀬アリス・加弥乃の2人が両手を下ろして料理に全く手を付けていない。食事シーンはNGが出れば食べ直さなければならないのが仕事の厳しさだというのに、何の臨場感・緊張感も無い。せめて合コンゆえの緊張で、女性陣も箸をつけないという表現をしろよ。ここで「この映画は本気で作ってません」という事が理解出来た。
(『この世界の片隅で』の中で新郎の北条周作が料理に手を付けてない事に気付いたのは新婦のすずだけだった。その緊張と空腹が後の「干し柿」のシーンに効いてくる構成の巧さ。これが物語るという事だろう。)
渋谷駅前広場の再現度は見ものではあったが、その使い方も酷かった。しつこい爆発シーンの繰り返しは醜悪そのもの。スロー再現は豊川悦司と山崎 努のサッポロ黒ラベルCMを想起させる(あのCMは佳い悪ふざけだった)。怪我人の描写に事態の深刻さはなく、ホラーの悪趣味・陳腐でしかない。
渋谷に集まる若者をひっくるめて衆愚として扱うのも、如何にも浅薄だ。2020年の新型コロナ騒動を俟たずとも、ここ数年のハロウィン規制を見ても、愚かな人種がいる一方で冷静な判断をする若者も居る。どんな人間が愚かな行動を取るのか、を示すべきではないのか。それが軽佻浮薄のド真ん中にいる広瀬・加弥乃を物語の軸にしてしまうのだから、呆れる。
井之脇 海演じるTVの契約社員が動画サイト上に犯行声明を上げさせられ「俺が犯人だと思われる!」とガクブルしているが、彼が上司(金井勇太)の命令で爆弾予告の取材に出掛けた事は調べればすぐ判る事で、彼はあそこでは「無実だと判明する前にヘタしたらSATに殺される!」と言うべきなのだ。そうすれば渋谷のビル屋上でホールドアップした時にも緊張が高まるだろう。当然あるべき警察(西島)によるUPされた犯行声明の分析も無い。
佐藤浩市・石田ゆり子・西島秀俊・鶴見辰吾という役が役なら悪くない役者達が、この酷い演出にどっぷり浸かっている事も悲喜劇。コロナか? コロナのせいなのか?
戦争どころか映画も、人間すら解って無い連中が説教映画を作るものでは無い。
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