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[コメント] 花束みたいな恋をした(2020/日)

「自分のことが一番好き」であるべきと薫陶を受けてきた今どきの若者に、刺さるというよりも寄り添う姿勢に好感。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







自己愛のもつれ。もっともありふれた失恋の理由。なのに正面きってとりあげられたことってなかったんじゃないか? 人生経験と情報が等価交換される平成の風俗の色濃く出た誰も描こうとしなかった恋愛物だったことにやられたと思った。

映画の宣伝文句に「何かがはじまる予感がして、心臓が鳴った」ってあったけど、二人が意気投合するあたりからもうこの恋は終わる予感しかしなかった。冒頭の「二人が別れた後のエピソード」を先に知っていたからだろっていうのは関係なく。だってこの二人完全に自己愛の延長でしか相手を見ていないもの。自分が自分らしく面白いと思って生きられない相手との恋愛はマジ無理。そういうスタートの二人だったから。

サブカル系とかオタク系の人たちには特にありがちな、常にアンテナ張って自分が世界の情報を「要チェック」できなくなったら人生の負けって思う感覚って、今どきの若い子にもあるんだぁって思ったけど、若い人に共通の特性かも知れない。ここで思われている「負け」って、結局は「老いた」「通俗的な大人になった」ってことだもんなぁ。本屋で自己啓発本読んでる麦をみて、ああ彼は終わった、って正直思っただろう絹の気持ちは良くわかる。相手が「つまらない大人になる」っていうのは正直恐怖だったろうと思う。だって相手は自己投影なんだから。

ちょっと話はそれるけど、これ観て連チャンで『ノマドランド』を鑑賞したんだけど、観客は定年後の老夫婦のようなシニアカップルが多かった(まあこっちは高齢者が主人公の映画だから)。麦と絹の二人も、麦の言うように、いったん通俗的(ふつう)な夫婦になれば、その後生活が落ち着いて、こんなふうに「アンテナ」に引っかかってくるコンテンツを二人で楽しむこともできたろうになあ、と思ってしまった。で、実はこの作品『ノマドランド』以上に「経済」の問題が影を落としていることに気づく。なぜ今の若者が結婚をしないか、それは先行きが不透明だからなんだけど、結局お金の問題だよね。お金に困らなければ、二人は「自分の好きなこと」に邁進できるわけで。

今どきの若者がそれ以前の世代より自己愛を強化するのは、一人で生きる生き方しか選択できない社会のせいでもあると思う。そんな二人が最後「通俗的に生きよう(もう自己愛の追求は捨てよう)」と、気持ちがやや傾きかけた時、初恋の頃のキラキラしたカップルを見て瞬殺されるシーンは切ない。若いつきあい初めのカップルのやりとりが「今ここで通俗を選んでしまったらこれまでの自分たちをすべて否定してしまうことになる」と思わせた。最後の最後で自己愛をとるほうを選んでしまった。ジョナサンの前で泣きながら抱き合う二人。昭和なら間違いなくもう一度やり直そうと思うところだろう。でもここでの二人の選択は「二人のキラキラしていた恋愛の数年」を重んじたのだ。それはきっと情報に置き換えられない経験だったからのように思う。

その後の二人の別れまでのチルアウトと、冒頭と終幕のコミカルな描写は、自己愛がゆえにこれ以上自分を傷つけることがないように、人生そういうこともあったっていいじゃないか、という今どきの若者への作品を作った人たちの寄り添いのように思った。Awesome City Clubの「勿忘」よりも、大友良英のチャンチャカしたエンディング曲の幕引きのその明るさがよかったと思う。でも、いま劇場にまた人を呼んでるのはオーサムの切ない歌のほうだったりするのだから、人はそれぞれ何を求めて作品に惹かれるかなんていうのは様々なんだなと思ったりもした。

(評価:★5)

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