コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ノマドランド(2020/米)

作中、何度も、何度も、何度も朝日が昇る。ファーン(F・マクドーマンド)が迎える“陽の光”は昨日も、今日も、明日も同じだが“光を迎える土地”は移り変わる。何に帰属して生きるかではなく、どう帰属するのかというオルタナティブな幸福を見い出すまでの一年。
ぽんしゅう

背景には資本主義の(必然的な)行き詰りや、労働格差や、健康問題があるのだが、ともすると観念論にすり替えられてしまう社会的問題に拘泥することなく、今までそれが幸福だと信じていたモノを失った者たちの、その後の生き方の個人的問題として物語は綴られる。

社会が規定する“幸福”から図らずも置き去りにされた者たちは、生きるためという共通かつ最低限の意思のもと、個人単位に緩やかに連帯しつつオルタナティブな幸福を見出していく。個人の連帯はあやふやでひ弱に見えて、社会などという実態がありそうで実は空疎な概念よりよほど強靭なときもある。これこそが個人の尊厳を尊重した自助と共助の理想のカタチなのかもしれない。

私たちは、個人が社会に紛れ込んだときの無責任さと、個人が丸裸のまま覚悟を決めたときの頑強さを経験的に知っている。60歳を過ぎたファーンの行く末に若者のような未来があるわけではなが、覚悟を決めた彼女の未来が決して悲惨でないことも想像できる。だから明るさはないが、悲壮感もないファーンの佇まいに安堵するのだ。

すべてのしがらみを遺棄したフランシス・マクドーマンドの仏頂面のカッコよく清々しいこと。自分の余生を思うとき、なんの覚悟もないくせに、精神的にらなノマド生活も悪くないかも、などと思う私の“半端”を、ファーンは鼻で笑うことも分かっているのだが。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)けにろん[*] おーい粗茶[*] 週一本[*] jollyjoker[*] ペペロンチーノ[*] ペンクロフ[*] セント[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。