[コメント] 次郎長三国志・勢揃い清水港(1953/日)
立派な親分さんになるって事は、庶民に娯楽を与えられるということ。それがよーく分かる話。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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この作品は子分の蒔いたトラブルの種を親分が収めようとするといった風情で、物語自体は至ってまともな物語。強いて言えば主人公である次郎長よりもやんちゃくれをやってる石松の方が明らかに話の中心になってるって事くらい。
ただ、ここでなかなかに興味深いのが、やくざの親分として認められるという条件について。
ここに描かれるやくざの一家は、単なる暴力を行使する役割ではない。むしろそっちよりも顔役として市井の人々のトラブルを収め、時に市民が喜ぶことを行う存在であり、それらが滞りなく出来るようになったことで、周囲の親分連中も、親分として一人前であることを認めるようになる。現在で言うところの、自治会の顔役って感じで描かれてる。
その最たるものが相撲の興行となっている訳だが、これはつまり、昔から相撲というのがどのような立場にあったのか、そのことをはっきりと示しているかのように見える。庶民に対して娯楽を与える事が結局親分さんの義務なのだから。
親分に望まれているのは、結局ローマ時代に言われていた“パンとサーカス”であり、洋の東西、時代や規模にかかわらず、それはずーっと変わってない。
ちょっと前に角界を揺るがせた八百長問題だが、あれは八百長と言うよりも、興行的な駆け引きの一環であり、興業を成功させるための措置であったのかなあ。
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