[コメント] 米英撃滅の歌(1945/日)
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戦後にこんな愚作は幸いにも消え去ったのだが、戦後に量産された歌手デヴュー話と通底するものがある。昭和14年、音楽学校の卒業演奏会のあと、ジャズ歌手の細川俊夫と一緒になる卒業生高峰三枝子に向かって、同期の轟は云う。「いけないわ、貴女がジャスを唄うなんて」。笠智衆のラジオから鳴るジャズ(14年にも鳴っていた訳だ)に作曲家の増田順二(新人)は云う。「下らんものを耳に入れるな」「ジャズってやつは日本人の敵だ。阿片だぞ」。
上海帰りの高峰は田舎の小学教師になったもうひとりの三人娘月丘夢路に「打ち明ける」。「ジャズはアメリカの文化謀略だってことなの。あたしたち、踊らされていたの。萩原(細川)はアメリカ人に殺されたのよ」。ジャズ演りたくて日本を追われた細川は、上海でアメリカ憎さに特務機関に入ってスパイになり殺されたというのだった。しかしこの件、具体的に何をスパイし合っていたという処がないために上の空に聞こえる(二階の外階段から高峰が見送り、細川が連れ去られる辺りは怪しく撮れていていいのだが)。
轟の所属する劇団は上海でカルメン上演、そこに飛び込んできた日独伊三国同盟締結の報に客席から万歳の声自然と湧き上がり、♪見よ東海の空明けて と舞台客席全員起立しての合唱というファッショ的なショットが臆面もなく展開され、棚引く三国の国旗がインサートされる。映画製作の時点では、まだ独伊は降伏していなかったのだろうか。
太平洋戦争前(上海事変前か)、上海で轟は高峰にチケットを送って呼び出し、旧交を温める。その喫茶店で中国人が「三国同盟がなんだ」と乱暴をしてすぐ取り押さえられる。「こんなこと気にしていちゃこの上海じゃ暮らしていけないわ。あいつらの傍若無人ってあんなものじゃないの」「悔しいでしょうねえ」「そりゃあ、口じゃ云えないくらいよ」という会話が交わされる。こういうのはリアルで、中国のリアルを隠していないとも見える。細川殺されて中国人スパイに白人が手当を渡している。
「大西洋哨戒強化 英 支援助完遂を豪語 攻撃を受くれば應戦」などの読売の新聞記事がインサートされ、十二月八日「われ奇襲に成功せり」。祝賀会は記録フィルムらしく暗いが大勢の万歳と銀座のパレード。この感動をそのまま曲にすればいいんですと増田順二。終盤に名曲は捻り出され、学徒出陣で初披露。♪濤は哮る 撃滅の時は今だ 空母戦艦 断じて屠れ 海が彼奴らの 墓場だ 塚だ 海が彼奴らの 墓場だ 塚だ 富士山バックに起き上がり字幕「撃ちてし止まむ 敵米英 撃滅の日まで」とエキサイトして終わる。
終盤、映画は突然、炭鉱夫への感謝など語り出す。増産映画も兼ねたのだろう。工場慰問で更生音楽(「こうせいおんがく」と轟は云っているがこの漢字でいいのだろうか)。勤労音楽とも云われている。轟得意の宝塚風の楽曲の歌唱も披露されているのだが、これはジャズとは云わなかったのだろうか。贔屓目に見ればこれは、ぬけぬけとジャスを挿入するという監督たちの悪戯かも知れない。その他、月丘のオルガンで小学校で紀元二千六百年の歌が唄われたり、箱根の山を三人で山登りしたりしている。
上からの労働者慰問はファッショの光景。労働者たちは「我らは戦場戦士なり」と号令に全員で復唱し、「アッツ島を忘れるな」「山本元帥につづけ」など記載したショベル持って行進して炭鉱へ入って行く。折れ線グラフは右肩上がり。何という空理空論だろう。戦後の不況炭鉱映画と対照的な描写であった。
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