[コメント] 水俣曼荼羅(2020/日)
いやいや、終わっていないことは終わらせませんよ、という原一男監督の執念(粘着力)と人情(人なつこさ)の記録映像。その6時間12分の映画は、50年の歴史を持つ水俣問題からすれば、3分の1にも満たない15年(2004〜2019年)間の被害者たちの人生(命)と状況(時)の移ろいの記録なのだが、なんともこれが奥深く重たい。
ものごとを消費することが習性になっている私(たち)にとって6時間12分はとても長い。だが原一男にとって、この15年の間に目撃した事実を伝えるには、ぜんぜんもの足りない長さだろう。さらに患者さんたちの人生からすれば6時間12分なんて、ほんの一瞬にしかすぎぎないのだ。
さまざまな人たちが登場する。
かつて同士として調査・研究をかさね、水俣病の認定基準の矛盾を指摘して成果を上げた九州大学の浴野教授と若き二宮医師の15年。患者を診察しながら自説を説き、嬉々として隠しきれず笑みすらこぼす無邪気な学者馬鹿の浴野教授。一方、研修医時代から患者とつきあい、医学者の理性と支援者の感情の間で揺れ動く熱血漢の二宮先生。どうやら二人は、いまは袂を分かっているようだ。
小児性患者のサンプル患者だった生駒さんは、子供時代に診てくれた老主事医に満面の笑みで謝辞を述べ、嫁をめとれた喜びを万感の思いで語り、初夜の話しを聞かれ照れまくり、ひたすら明朗で陽気だ。後年、自由の効かなくなった腕で仕事をする苦労を愚痴り、かつての明るさの裏に隠していた本音を語り、自身の認定等級が下がることを危惧して生駒さんは浴野教授の研究への協力要請を拒む。
普段は温厚な人だったが突然人格が変り暴力的になり、しばらくすると何ごともなかったようにもとに戻ったと、生前の夫の奇行を語る岩本未亡人と息子は、夫の脳を研究のためならと浴野教授に提供する。が、後日、夢枕に立った夫に「俺の脳みそをどうするつもりだ。早く脳みそを返せ」と言わたと、未亡人は後悔する。
裁判を争う書道教室の溝口先生の苦悩を涙ながらに訴える若い女性がいた。先生と妻は、教室に通う姉についてきた2歳の彼女が、ちょこんと正座して「日本昔ばなし」を食い入るように見ていた可愛い姿が忘れられないと語る。後年、彼女は老いた溝口先生の側にピタリと寄り添い、鬼の形相で行政担当者を追及する闘士になっている。奥さんはすでに亡くなっているようだ。
すべての収入をつぎ込んで長年裁判を続け、90歳になったダンディな紳士だった井上さんの家は、年を経るごとに建具の傷みが目立ち、部屋には物が無造作に積み上げられて生活荒廃の気配がただよう。国を相手に喧嘩をしたのは間違いだったかもしれない、とつぶやきながら、それでも井上さんは裁判を続ける。
いま、ここに書き連ねたエピソードは、この映画のほんの一部でしかない。この何倍ものエピソードが描かれ、そのまた背後には何百倍もの、私たちが知る由のない水俣の人々の生活が今も続いているのだろう。
「水俣曼荼羅」とは、よく名づけたものだ。曼荼羅は密教の修行において、その真理を直感的に悟らせるための鮮やかな絵図なのだそうだ。この水俣にまつわる「曼荼羅」を一度観ただけで私(たち)に、水俣の真理が分かるはずもない。私が理解できた(悟らされた)のは「水俣」の問題は現在進行形の事件なのだという、患者さんにとっては当たり前の事実だ。
終わっていないことを、終わったと見せかける国や行政は論外だが、あったことをすぐに忘れてしまう私(たち)だって同じぐらい罪深い。そんな人の罪深さを、原一男は百も承知だ。原監督は、先達の土本典昭監督の傑作『水俣 患者さんとその世界』(1976)に献辞を贈るこの映画を作った目的を問われ、“この後の水俣”を次の誰かに撮り続けてもらうためだ、と明言している。
上映後に原監督の短いトークショーが開かれた。どうしても言っておきたいこととして監督はふたつのことを挙げた。障害のために突如、暴力的なる患者さんは事実存在するが、その人にカメラを向けることが、どうしても出来なかったこと。もうひとつは、身体の感覚が麻痺した患者さんたちの性にまつわる証言を得ることにためらいがあったこと。監督の興味は、水俣で起きた「事件(スキャンダル)」ではなく、自分の隣人としての個人の「営み(ライフ)」にあるのだろう。とても素直な、心の優しい人だ。
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