[コメント] ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984/米)
そもそもイタリアンマフィアでなくユダヤ人を主人公に据えた点でこの映画は成功してい
る。多民族と交わるのを良しとしない宗教観・民族観を、ファミリーとしての絆、錬金術に長け、お金に執着するユダヤ人としての仁義に据えているからだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ユダヤ人街の猥雑さ、貧しさの中で知恵を働かせのし上がっていく生命力、その中での友情と愛憎。目障りな敵をすぐに消してしまうイタリアンマフィアとの違いは、自分たちでなんとかするしかないという迫害の歴史から生まれたものであり、明るい表通りというより裏の隠し部屋で札束を勘定するというイメージでなのある。
ギャングものの特徴である裏切りや裏取引もさることながら、仲間とのつながりが非常に単純で情緒的でもあり、このあたりがコックアイの奏でるパンフルートに実にうまく乗せてある。
そして、時間の切り取り方に唸らされる。老人ヌードルスがのぞき穴から見ている目のアップから少年ヌードルスへ。鞄の手元から出所のシーンへの転換。アヘン窟の交差など。さらに再見として、若い頃は見落としていたいくつものプロダクションデザインの素晴らしさについても特筆に値するだろう。
ただし、デボラのキャスティングについてはいただけない。少女デボラジェニファー・コネリーの透き通った瞳、涼しい口元、先がややダンゴでツンと尖った鼻と頬骨こそが、ヌードルスが愛したそれであるのに、大人になったデボラエリザベス・マクガヴァンはどうだ。唇が違う。目が濁っているし、口元はビンボ臭いへの字ではないか。楽屋で化粧を落としている彼女のオデコの吹き出物も許せない。色気と華がすっかりなくなってしまっている点は大きな失敗だろう。
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