[コメント] 日曜はダメよ(1960/米=ギリシャ)
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アダルトチルドレンは語弊かな?言い直すなら人間になりきれていない人間として新たな造語を作るべきなのかも。
さて、この作品、簡単に日常に転がっている事象で例えて言うならば、「通信教育(筆記主体)で空手の黒帯を取得した人間」と、「必然的にストリートファイトで鍛えてから空手に目覚めて黒帯を勝ち取った人間」との対比。どちらが勝つか闘う前から分かりそうなのだけど、演出が巧く、作品として面白くしようとしているので、その勝敗の行方が途中で分かったとしても、最後まで興味深く素晴らしく面白かった。
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子供じみているとし、ギリシャのグリースを文化が廃退した社会とし、そこに生きる人間の本質などを知らずに、赤子の机上の空論を外に持ち出した大人ぶった子供のオロオロする様の描写は見事としか言いようがなく、さすがギリシャのDNAといったところか。凝り固まった答えに盲信する人間をあそこまで描けるとは、ホント見事。
さらに、悲劇を悲劇として全面的に無条件に受け入れ、自分のオリジナリティの解釈をしない、今までの古い価値観こそが全てと思っているダサイセンスしか持たない人間の馬鹿さが鮮明すぎて、作品が持つメッセージに色あせないパワーを帯びているのをリアルに感じた。
悲劇を喜劇として解釈することを許さずに否定する人間こそが、芸術と人間性を汚くさせるもので、それをしてしまっていた彼は、所詮アマチュア哲学者の粋を出ることに恐れていた勇気が足りない乳飲み子だった。だが、ラスト、メモ帳を海に捨てて自分の足で二足歩行で自立する彼の姿は、子供としては潔い。それを人間探求者へのさらなる脱皮、旅路としてみるべきか人間探求者を退職する姿とみるべきかでその印象は劇的に変わる。
観客は、ある一定の時間まで彼の視点に立ってしまうことを計算に入れた監督の検算と計算力は大袈裟ではなく、100見の価値有り。この映画は年を重ねるごとに、もっともっと味が分かるのかもしれない。少なくとも一度や二度では飽きない魅力が十二分に漂いすぎていた。
…それがこの映画の答えなのかも。
人間にギッシリ詰まった美しさを美しく表現されたら平身低頭です。
2003/3/13
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