[コメント] さがす(2022/日)
“こんな”ハードでシビアな題材を商業映画のなかに留め置くには、“あの”女子中学生のタフさと、どろどろの顛末を物語の外へ弾き出す“あんな”結末が必要だったのだ。″これは”緩衝材として笑いと赦しを巧みに取り込むハリウッドのエンタメ問題作の“やり口”。
胸くそ悪い成り行きの中で、娘(伊東蒼)の存在が、いささか浮いているように見えるのだが、彼女の誇張された日常視点の導入が、この非現実的だが誇張されていない日常(どの逸話も実在の事件を思い起こす)を、悪趣味なキワモノに見せないギリギリのところで担保している。
片山慎三監督は、彼女を物語のなかに周到に存在させることで、映画としてのウソと社会のリアルの共存を実現させている。なかなかの力技。だたし、その境界を曖昧にする強引な幕引きによって本作は告発映画ではなく、あくまでもエンターテインメント映画になっていた。それが片山監督の本望なのかどうかは分からない。
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