[コメント] 英雄の証明(2021/イラン=仏)
画面的にも随所に見どころがある。まず出所したラヒムが最初に向かうのは、山肌にある遺跡及びその発掘作業場で、このロケーションが壮観だ。梯子を上るラヒム。仕事をしている義兄(ラヒムの姉の夫)に挨拶し、マツダ車のピックアップトラックを借りる。次に恋人−ファルコンデのところへ。恋人がチャドルをまといながら階段を降りてくるのをジャンプカットで繋いだカッティング、これにも目が留まる。あるいは、ラヒムの姉夫婦の家も、すぐ後方に岩山がそびえ立つ場所にあり、この家の前の道を映したカットも良いカットだ。
また、二人の子役の使い方も舌を巻くレベルだ。一人は姉の娘(ラヒムの姪っ子)で、この子が叔父のラヒムによく懐いていて可愛いのだが、中盤以降、ラヒムの状況変化に応じて、登場シーンのような屈託のない笑顔をまったく見せなくなる、という演出が、ムード醸成に効いている。もう一人は、ラヒムの子供(息子)−シアヴァシュ。彼が吃音症である、という設定が、皮肉なプロット展開に寄与する部分は大きいだろう。このあたりは、作劇の狡猾さを感じてしまうところでもあるが、登場人物及び観客の感情操作の手管としては、見事なものだと思う。ラスト近く、刑務所職員が、やって来て、この息子の証言の動画を撮る場面がハイライトだ。映画というメディアの詐欺性を暴露する。
そして、プロット展開の焦点は、拾った金貨、及び集まった寄付金という二つのまとまったお金の行方にあるのだが、そのいずれに対しても、ラヒムが自身で下した決断のシーンについては、紛れもなく観客に画面で提示されている、というのが、これも上手いところだろう。ラヒムには、クズな面もあるし、その場しのぎの嘘で糊塗する部分もあるが、プロットの最も重要な部分では「英雄」かどうかはともかくとして、少なくも「いい人」だということが、観客にとって、担保されている映画なのだ。だから、狡猾な作劇でもキライにはなれないのだ。
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