[コメント] シャドウ・イン・クラウド(2020/ニュージーランド=米)
映画において、荒唐無稽であることは、いついかなる場合も美徳なのだから、本作はとても良い映画、ということになる。その極めつけは、パラシュートも付けずに、飛行するB17から落下したモレッツが、零戦のおかげで機内に戻る、という場面だが、この演出こそ本作のチャームポイントだと私は思う。
さて、本作も前後半で景色がガラリと変わる映画だ。すなわち、前半は、ほとんど一時間ぐらい、球形銃座の中に入ったモレッツと、彼女の見た目と想像の映像だけの画面だ。想像の映像というのは、例えば乗員の紹介的正面ショットだとか、この時点での謎のアイテム−機密情報の入った革の鞄の状況だとかだ。プロット展開の多くは、モレッツと機内との無線交信で進めていくという趣向。機内の様子は音声だけで伝わるのみなので、想像が掻き立てられるのだ。
また、モレッツは登場時点で既に左腕を負傷している(吊っている)のだが、銃座の中で、右手を切ったり、左の指を骨折?したり、左胸に裂傷を負ったりと、痛めつけられる。これも活劇として王道の展開だろう。満身創痍のモレッツが、銃座から出て、機体を伝って革の鞄を奪還しようとする部分では、まるでモレッツがグレムリン化したようも見え、嬉しくなった。ただし、後半になると(機内に戻ってからは)、痛めつけられたことが、反故にされたように感じられる(機能しなくなる)のはちょっと、ダラシナイ描き方だと思った。
あと、グレムリンと同時に3機の零戦とも戦うという贅沢な展開になるが、こゝは難しいとは思いますが、いずれとの戦いの見せ方も、もたついた感がある。グレムリンが消えている時間も気になったが、零戦3機の来襲が、絶体絶命とか云いながら、案外弱いし、攻撃に時間がかかるのが、私には不満でした。尚、グレムリンとの帰結には、このご時勢、複雑なものも感じるし(あまりに極端な暴力の肯定ではないか)、グレムリンが可哀そうにも思えてくるが、映画というメディアは、現在のところ、これで良いのだと私は考える。これを見て、逆にモレッツが嫌いになる、という人がいてもいいのだ。
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