[コメント] 白い牛のバラッド(2020/イラン=仏)
アミン・ジャファリのカメラが切り出し積み重ねる画(光景)は登場人物たちを正面から見据えつつも、突き放すように無感情だ。淡々と情緒を排除した語り口が、感情を露わにできない女たちの“感情”を代弁して、内在された不幸を透視するように透かしだす。
女(マリヤム・モガッダム)は娘に、男(アリレザ・サニファル)は友人の妻であるその女に本当のことを告げられない。そこに悪意はないが、たとえ善意からだとしても本当のことが言えない状況は、誰も幸せにしないだろう。そんな状況、すなわち女性の権利の抑圧や、男性支配によるずさんな司法制度を人々に強いる社会(体制)をマリヤム・モガッダムとベタシュ・サナイハは静かに告発する。
女はたった一度だけ、夫の冤罪を知らされたときに感情を露わにする。だがイスラムの教義が先じる司法のもとでは、冤罪で死刑にされた「過ち」もまた神のおぼし召しとして正当化されてしまう。女の悲しみが怒りと化して外部(社会)へ発散されることは叶わない。宗教戒律という名の因習のもと、感情の表明という最も本能的な権利すら封じ込める呪縛社会。
キリスト教の世界では「神の不在」を描いて宗教の無力さや矛盾を訴えるあまたの物語が作り続けられている。イスラム世界では「死刑もまた神のおぼし召し」に疑問を投げかけることは、そのまま正教一致への疑義であり体制自体の変革要求の表明にほかならないのだろう。
今まで私が観たイスラム世界の映画の中で、人の悲しみを描いてこれほどシンプルな物語は記憶にない。シンプルな分この静かな疑義申し立ては、イスラム体制のもとでは精一杯の合理であり、それだけに体制(宗教支配)に突きつけた矛先は鋭利だ。日本公開時点(2022年)でも、イランでは上映が許されていないそうだ。
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