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[コメント] 裸のムラ(2022/日)

とても真摯な力作だった。作者が手加減なしに浮き彫りにする知事に対する職員の「過剰な忖度」の構造を、市井の家族の本音にまで踏み込んであぶり出して並列に見せる姿勢には作者のある種の正直さを感じた。だが観終わて時間が経つにつれて複雑な思いが湧いてきた。
ぽんしゅう

27年間に渡り公権力を握ってきた県知事の「権威」に対するいぶかしさの表明は理解できる。同時に私は、会社を辞めて自由人として車中で仕事をこなす父親が、無意識のうちに娘を縛り図らずも"忖度”の芽を育ててしまっているさまに危うさと嫌悪感を抱いた。さらに日本社会の居心地の悪さ語るムスリム一家の信仰至上主義と宗教二世である子供たちが垣間みせる生きにくさという加害と被害の関係に批判的な目を向けてしまった。

市井の家族に抱いた私のこの否定的な感情は、はたして本作の趣旨に必要なのだろうか。公権力を手に君臨する為政者とその取り巻きの「忖度」と、誠実かつ懸命に暮らす市井の家族に潜む「忖度」をここまで露骨に並列に並べてしまってよいのだろううか。このドキュメンタリ―は、誰の視点に立って、誰に向かってどうしろと言いたいのだろう。到達点として何を目指しているのだろう。そんな疑問が湧いてきてしまった。

監督の五百旗頭幸男の視線は真摯だが、それはジャーナリストとしての視線でありドキュメンタリストの視線ではないような気がする。その良し悪しは分からないがヒントになることがあったのを思い出した。昨年、『水俣曼荼羅』の上映後に監督の原一男が語った話しだ。それを記した部分を「水俣曼荼羅」のレビューから転載しておきます。

〔転載〕 上映後に原監督の短いトークショーが開かれた。どうしても言っておきたいこととして監督はふたつのことを挙げた。障害のために突如、暴力的なる患者さんは事実存在するが、その人にカメラを向けることが、どうしても出来なかったこと。もうひとつは、身体の感覚が麻痺した患者さんたちの性にまつわる証言を得ることにためらいがあったこと。監督の興味は、水俣で起きた「事件(スキャンダル)」ではなく、自分の隣人としての個人の「営み(ライフ)」にあるのだろう。とても素直な、心の優しい人だ。

(評価:★3)

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