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[コメント] パラレル・マザーズ(2021/スペイン=仏)

ねじれた世界をどうにかできるものなのか?それがアルモドバルの問いなのか?
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「鬼才」だったはずが、最近じゃ「名匠」(時に巨匠)呼ばわりされるアルモドバル。もう73歳なんですね。前作『ペイン・アンド・グローリー』が、自伝的要素が強く、だいぶ内省的な方向に向かったなという印象でした。今回のスペインの過去(内戦という自国の傷)を巡るエピソードは、その内省的思考の延長線上のように思えます。

映画としてのバランスは悪いと思いますけどね。母を巡る話と墓掘りの話は一見噛み合ってない。でも、何となく分かる気もします。

母を巡る話は『オール・アバウト・マイ・マザー』や『ジュリエッタ』などで、画面から周到に男どもを消し去る女性映画は『ボルベール』などで、しばしば扱うモチーフです。しばしば扱うモチーフということは、彼の内側に何かあるのでしょう。つまり、一見噛み合ってない母を巡る話と墓掘りの話は、(アルモドバルの中では)内省的思考の同一線上にあるのかもしれません。

主人公ペネロペ・クルスにとって、写真でしか会えない人物が二人出てきます。それが、曽祖父と実の娘。彼女を真ん中に据えて、過去と(来るはずだった)未来を写真で繋げる。ある意味「パラレル(平行)」な世界。そこに、アルモドバル個人とスペイン人としてのアイデンティティーを投影する。これは、そういう映画なんだと思います。もしかすると「マザー」が指し示すのは、「母」だけでなく「大地=この国」という意味なのかもしれません。

もっとも、この映画で描かれているのは、パラレルというよりも「ねじれた」世界のような気もしますが。実子を巡るねじれた関係。同胞が殺し合うという内戦のねじれた関係。過去も未来も、国も個人も、様々な形で世界はねじれていて、「このねじれた世界をどうにかできないできないものか?」とアルモドバルが言っているような気もします。

(2022.11.05 新宿シネマカリテにて鑑賞)

(評価:★4)

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