[コメント] 気まぐれ天使(1947/米)
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最後に天使のケイリー・グラントは司教(bishop)のデヴィッド・ニーヴンに、私が来たのは貴方の、大聖堂を建てたいという祈りに応えるためではなく、貴方が神のお導きを祈ったからだ、と語る。司教にとってそれは同じことだったのだが、天使にとってそれは正反対のことだったのだった。この最後に示される気づきは美しいと思われる。ただ、カトリックがどう思うかは判らない。
冒頭の乳母車をキャッチして観客の心を掴むグラント。脚本家は天使の小ネタをよくもこれだけ考えついたものだ。雪道を横断すると車は必ず一時停止し、賢い犬とはツーカーになり(名演技である)、娘の雪合戦やファイルカードの収納、ツリーの飾りつけなどアニメの多用、教授の減らないシェリー酒(どんな美術を使ったのだろう)、富豪の条件呑んだ途端に椅子から尻が取れなくなる司教、無人のタイプライター。
分けても最高なのは、奇跡を見せないと天使とは信じられないと司教が迫るのを、天使が私は手品をしに来たのではないと断り(悪魔の誘惑を断るイエスが摸せられているだろう)、そして直前に司教が鍵をかけた扉を開けて部屋を出て行く件で、とてもスマート。 後半は「幸せな気分になる」ことの大切さが描写され続ける。司教の妻ロレッタ・ヤングと踊るアイススケートの件は素晴らしく、どうやって滑っているのか、どんなトリックなのか(スクリーンプロセスであんなに上手くできるのだろうか)、とても美しいアイスダンスが展開され、タクシー運転手がトリッキーな滑りで参入し、ついには三人でのアイスダンスになる。少年合唱隊の件があり、富豪の未亡人を説得するのは彼女の元カレの曲の天使のハープ演奏。ここは残念な瑕疵で無理矢理感があるが、寄付は困っている人への寄付に充てられることになる。最初から大聖堂より大事なものがあると呟いていた妻の待望が叶うのだった。
願いが成就して天使がいなくなると、人は天使のことを(殆ど)忘れてしまう、そして自分で考えたかのように振る舞う。たいへん余韻の生まれる設定で、本作はこれで価値高い。元ネタはあるのだろうか。『時をかける少女』のラストはこのイタダキだろう。本作では空っぽの靴下の喩えのある説教の原稿でもって、天使ではなくイエスが讃えられた。 敬虔な映画でした。私的ベストショットは天使が娘にダビデの昔話をする件で、娘目線のローアングルになり、家じゅうの人たちが集まって聞いている件。お手伝いのエルザ・ランチェスターの感動好きな造形が素敵。30代半ばのロレッタ・ヤングはシェリー・デュヴァルに似ている。
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