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[コメント] Kyoto, My Mother’s Place キョート・マイ・マザーズ・プレイス(1991/英)

「京都を燃やしたい」と語る怒りのオーシマ。さすがBBC、日本のテレビ放映は無理だろう。例の紫の和服も京都から強制・矯正された姿だと語る自己分析。奇怪な格好と自覚しているのだと驚かされる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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大島自身のナレーションで京都の歴史、母の生涯、自分史が科学的で理路整然と語られる。さすが頭のいい人だなあという感想。

京都の歴史。庶民の生活苦が語られる。奈良の仏教の影響を減らすために遷都されたが結局は寺院は増えた。鎌倉遷都では町衆の努力により復興したが武士の圧迫を受けた。壬生狂言が映され、無言劇なのが京都らしいと云われる。「堪忍」の額が多く飾られる。摩擦を起こさず耐え忍ぶという思想。「こうして美しい京都が完成した」信長は京都を焼きたかった。

母の生涯。町屋の構造が語られる。鰻の寝床と云われる細さ(間口の広さで課税されたから)、奥行きは40mにもなり、突き当りに坪庭がある。土間は激しい寒気で、母の台所仕事で霜焼けになった腫れた手が忘れられない。湿っていて結核が多発した。江戸の華と云われた火事は制裁の厳しい京都では許されなかった。2割しか進まない女学校を出たが、選択肢は結婚しかなかった。母は自分のために生きなかった。京都に矯正された。外にも滅多に出なかった。母の同級生と兄のインタヴューがある。

大島の自分史。瀬戸内生まれで父が死んで京都に戻った。小6で彼の名が表札にかかった。暗い家が厭わしかった。「京都に連れてこられたことを心から呪った」とまで語る。京大西部講堂、改造計画提案するが受け入れられず。大学時代は4年間、演劇に明け暮れたが「共産党が支配していた学生演劇で、私の意見は受け入れられなかった」という重要な発言があった。残念ながらこれ以上は詳述されなかった。演出は一度しただけ。大船へ行くのは京都を追われるように感じたとあった。終盤、大島は松尾大社の祭りに参加する。神輿は桂川を下り、それぞれの地所に戻る。平安京から続く町衆の祭りと云われる。

(評価:★4)

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