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[コメント] 怪物(2023/日)

人は人、自分は自分。大人も子供もみんな病んでるかもしれないけど、理解者を見つけられればサイコー。20230615
しど

予告編では大きな事件を中心にした犯人捜しの物語のようでもあるが、実際は、視点によって異なる意識のズレがテーマで、一つの事象を様々な人々の視点から描いていく、黒澤明の『羅生門』のパターンである。

21世紀もほぼ四半世紀を経過し、ますます「ムラ社会」要素が強まっていく日本社会。イジメに関わる子供も、組織に属する大人も、集団に取り込まれると自分の考えを容易に変えてしまい、組織の論理で偏見を持ち、偏見を元に安心して「他人」を傷つける。

人は皆、何かしらの問題を抱えている。母親は夫を亡くしたシングルマザー。担任教師は見逃した誤植で出版社を解雇されたり、やや発達障害な側面がある。校長は夫が孫を事故死させたことで休職していた。男の子とその友達も小さな問題を抱えている。

問題そのものは小さくても、ちょっとした「違和感」が集団の中では過大に問題視され、やがて標的となってイジメられる。逃れるためには、ウソをついてでも集団の側の論理に従うしかない。

個人よりも集団の論理が重んじられるムラ社会を描くだけでなく、この作品では苦悩の解放も描かれる。それは、理解者の存在である。

母親と担任には居ない。母親は夫を亡くしただけではなく、その関係にも遺恨を残している。担任の彼女は困難の前でよそよそしくなる。それに対して、子供たちは、理解しあって二人の世界へ逃避する。まるで『禁じられた遊び』のように。

個人的には「怪物は誰か」というのは、あまり重要でないとは思うのだけど、強いていえば、個人の意識を捨てて集団の論理を受け入れた瞬間、その人は「怪物」になるのだと思う。わかりやすい登場人物でいえば、イジメる子供と偏見まみれの父親(中村獅童)である。

もちろん、母親と担任が「怪物」になるシーンもあるが、大事なのは「誰もが怪物になるけど、そうでない一面もある」ということなのだ。終始「怪物」ぽかった校長の個性を見せられたところから、最後の展開へ向かうのはそういうことだ。

子役の演出には定評のある是枝監督の今作は、シングルマザーの子供たちを描いた『誰も知らない』に構成要素が非常に似ている。しかし、約20年前の作品と比較すると、絶望の中のかすかな光を提示するだけでなく、監督自身の「願い」がより強烈に託されているのが今作だろう。日本社会は、20年で「その程度に」より病んできたのかと思う。

(評価:★5)

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