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[コメント] 苦い涙(2022/仏)

クレジットバックの最初にライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの顔アップの写真が出る。また、エンドロールの最後には、ファスビンダーとハンナ・シグラが映った写真。
ゑぎ

 ファスビンダー版から、主人公とその助手、主人公が入れあげる若者という主要人物3人の性別(生物学的性)を変更している点が大きな改変部分だが、スクリプト的にはほとんど同じ(構成や科白が同じ)と感じられた。ただし、画面造型上の相違として、ファスビンダー版のような撮影の突出は感じられない。その代わり、より窓や鏡、あるいは写真といった道具立てを活用した映画になっている。また、アパート外の視点が映像化されているのも特徴だ。

 開巻は窓外からの視点。大きな窓の向こうの部屋にカール。ポン引きして、ロングショットに繋ぐ。それはアパートのほゞ全景、シンメトリーに近いショット。1972年ケルン、とテロップが出る。部屋の中、リビングは、赤やえんじ色、褐色系が中心。カール−ステファン・クレポンはピーター−ドゥニ・メノーシェの寝室へ。こちらは青い部屋。窓を開けるカール。白いモフモフのカーペット。ベッドの頭側の壁には、大きなイザベル・アジャーニ−シドニーの写真パネルがある。クローゼットの前面は鏡になっており、人物が度々反映する。主人公のピーターは、ファスビンダーを思わせる映画監督だ。カールはその助手。ロミー・シュナイダーへ出演依頼する手紙をタイプする。シナリオのタイプもカール。後の場面では、カールが書いた科白の原稿をピーターが破る場面もある。あるいは、最初にピーターがかける音楽はシドニー−アジャーニが唄う「人は愛するものを殺す」という歌だが、一瞬カールとダンスを始める部分で既に、カールの思慕の感情が良く伝わってくる。しかし、唐突にオアズケ。

 さて、最初の訪問者もシドニーだ。彼女は実業家と結婚しているよう。ピーターは別れた彼氏の話をする。牛のように犯された話をシドニーに聞かせる。そしてなぜか、シドニーが船で知り合ったという若者アミールが、この家にやって来る。結果的に(いや計画的に?)シドニーが、アミールをピーターにあてがったということになる。

 アミール−ハリル・ガルビアは確かにとても魅力的な俳優で、見せ場は多々あるが、矢張り、ウォーカー・ブラザーズの「孤独の太陽(イン・マイ・ルーム)」に乗ってダンスするシーンがその筆頭か。しかし、ピーターがアミールの生い立ちを聞くシーンで、別室の作業場へ行き、カールがカメラを回し始め、インタビューされるアミールを撮影するというファスビンダー版からの改変部分は重要だろう。話の佳境でカールに前進移動させ、さらにピーターがカメラを取り上げ、手持ちに切り替えてアップで撮る。この一連の演出は、かなり演劇的だと感じたが、昂奮させるものではある。

 そして、唐突な冬の場面では、窓外の雪を見せ、青い冬の光を定着する。こゝでピーターが一人ダンスするシーンのBGMは、コラ・ヴォケールの「愛の終幕」だ。終盤のハイライト、ピーターの誕生日は、床にぶっ倒れている彼から始まる。こゝにピーターの娘ガブリエル、次にシドニーが来る。シドニーはアミールの近況に通じていて、彼は今度、ゼフィレッリ(フランコ・ゼフィレッリ)の映画に出ると云う。ピーターは「あのオペラ馬鹿か」。アミールと寝たのか?と聞かれたシドニーが、アミールと寝ていない人なんかいないわ、と返す会話も面白い。最後に、ピーターの母親−ハンナ・シグラが来る。こゝから始まる、3人を罵倒するピーターの場面が矢張り圧巻だ。特に母親を、亭主と息子に寄生する売春婦、と叫ぶのがいい。シドニー−アジャーニが、歌を唄いながら退場するのは、ちょっと演劇的に過ぎるが。

 この後、ピーターのアパートとは全く異なる屋外の場面が繰り出されたりもするが、比較をすれば、私はファスビンダー版よりも、本作の方が、より演劇的な演出が目立つように思われた。当然ながら、登場人物を映画関係者にしたり、カメラや映写機を使って映画中映画を捏造したところで、映画的になるワケではない。しかし、演劇的な演出は、面白い仕掛けになっていることも確かだ。本作も、原本同様、全編ニヤケながら見ることのできる非常に周到な作品だと思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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