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[コメント] 田舎町の春(1948/中国)

怜悧な心理劇の緊張は最後まで続く。妻の告白は説明ではなく、説明できない襞に分け入るための何かに聴こえる。演出はすでに吉田喜重の傑作群に拮抗している。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「私は死ぬ勇気がなく、夫(石羽)は生きる勇気がなかった」と冒頭で妻(韋偉)は呟く。この純文学系列の状況。「家を潰した役立たず」と結核の夫はぶらぶらするたけで、話し合おうと呼び止めても妻は立ち去る。夫は子供のように買ってきてもらった薬を瓦礫に投げる。「話し合うことなんかない、養生が一番だ」と妻は逃げる。章(李緯)の登場後、この身振りは拡大されて繰り返される。ベッドで夫が掴んだ手首を妻はやんわり放して去る。

終盤、酒に酔って陽気な妻を見て夫は「君を自由にしたいんだ、僕は早く死にたい」と告白す。妻の改心と、夕陽のなかで寄り添うふたりのラストに繋がるのだが、映画の力点はどうやらそこにはない。終盤だから仕方なくまとめているような調子なのだ。これはあえてそうしているに違いない。製作者の主眼は終盤にはない。だから観客にもああよかったねと席を立つ者などいないだろう。覚えているのは序中盤の息苦しさだけだ。

明るく訪問する章は、今は人妻の昔の恋人と偶然会って、ひどい目にあったともいえるが過去の清算の機縁でもあったのだろう。抗日ゲリラとして各地を転々として結婚する暇もなかった彼の元気は、金持ちから没落した夫の鬱と対照されている。恋を囁く妻は「もし夫が死ねば」と呟いてしまって、自分で自分に驚く。このときだけ、妻のバストショットはキャメラを正面に見る。このショットが怖い。自分の怖さを自覚した者の滲み出てしまう怖さ。

映画らしい小物使いが充実しており、夜12時に電気がこなくなる、蝋燭を灯す、という反福は恋愛劇を妖しく彩っている。土壇場ではっと電灯は消える。妻は泣き出す。そして章が妻を部屋に閉じ込め、妻の手首が硝子を砕いて施錠を外す強烈なショットは本作のベストショット。手首だけが窓から飛び出て動くなまめかしさは凡百のホラーを超越している。その他、章の部屋に置かれた匂いの強すぎる蘭。兄が受け取らないから妹が章に渡す箱庭など実に効果的。

章は妻の自殺を予防しようと睡眠薬をビタミン剤に入れ替える。夫は自殺しようとこれを飲んで自殺できなかった。この薬の件は終盤ややもたつくのだが、そういうことなのだろう。全体に音楽がないのがとてもいい。四人が丸卓を囲む妹の誕生日の宴席で、爺やの黄さん(崔超明)は封建社会らしくベランダの別卓に離れてひとり酒を飲んでいる。部屋にはサモアールがあり、妹(張鴻眉)はコサックを讃える歌を披露する。中国がソ連と関係の深かった時代を記録しているのだろう。

崩壊した城跡はかつて日帝軍が居を構えたのかもしれない。「八年も続いた戦争」と爺やは嘆いている。この情景を撮るのに映画は熱心ではない。もっと見たいという不満は残るが、閉鎖空間の演出が作劇に見合った方法なのだろう。中盤、夫と妹は明るくて後部の妻と章は暗い顔しているボートの心理描写の中間整理のショットや、妹が壊れた城壁に沿ってバレーのステップを踏むローアングルが印象に残る。映画は、この妹だけには将来を探そうとしている。

(評価:★5)

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