[コメント] あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。(2023/日)
戦時下にタイムスリップと言うと山田太一脚本の「終わりに見た街」を思い出す。益々出発点である「現代」が遠くなってきているが、観客(若者世代)に見せるとしたらどういう内容が良いのか、更に悩ましい。☆3.6点。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「現代の高校生」である百合(福原 遥 )は、過去に飛ばされた時に当然取るだろう態度・行動を取らず、言うだろう台詞を言わない。今回の「定食屋の小母さん」は松坂慶子だが、小母さん含め、戦時の人々も百合に対して取るべき態度を取らず、言うべき質問を言わない。百合が定食屋の手伝いに戸惑う経過を描かず、小母ちゃんに「随分慣れてきたじゃないか」と言わせるのだ。この辺を甘くすると、物語がファンタジーに落ち込む危険が大きい(舞台的と言うべきか)。私などは観客に理解出来なくても細かいリアリティーを求めると思うが、若い世代に届けるという目的にとってどちらが良いのだろうか。
百合の現代に於ける問題意識は、他人を助けて死んだ父親への反発、進学に対する諦め感といった程度で、矢張り間口を広くした印象だ。社会に対する意識がゼロの(詰まり極一般的な)高校生に造形すると、僅かの時間に特攻隊員と交流するのは無理な気がする。百合独自のキャラクター設定があっても良かったのでは無いだろうか。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。