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[コメント] 悪魔の美しさ(1949/仏=伊)

クレールのユーモアで扱うには歴史は残酷過ぎたのではないか。作風を変えざるを得なかったチャップリンのほうが誠実ではなかったのだろうか(含『』のネタバレ)。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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面白い件は冒頭のミシェル・シモンジェラール・フィリップになる若返りであり、老年の欲望が噴出している(ファウストものはそういうものだが、ジェラール・フィリップになるってのがすご過ぎるのだ)。で、この若返りの主題が後半顧みられないのが不思議だ。博士はフィリップの若さのままニコール・ベナールと幸せに暮らしましたとさ、という収束は、ハイそうですかと頷くのは困難、終盤の悪魔との契約廃棄とともにフィリップが高齢に戻るというジレンマを描いてくれないのは不満である(原作もそうだから仕方ないのだろうが)。高齢化社会の現代では当然に見えるこの疑問、昔は大したことではなかったのだろうかと不思議な気がする。

ゲーテをベースに原子爆弾まで語る手際は漱石を自由翻案した『』が想起される処で、クロサワは影響を受けたに違いない。個人的には、なんでも悪魔で済ませる系の本作よりクロサワの方が優れていると思った。フィリップの跡を追って走る子犬たちとか、宮殿失火における従者たちのバケツリレーとか、クレールらしいユーモアは愉しいが、ミシェル・シモンの悪魔はユーモアに流れて凄味に欠け、作品を軽くしている。

もちろんそれが狙いなのだろうが、もっと残忍な造形のほうが現代的、『自由を我等に』の手法で描くには歴史は残酷過ぎたという感想が残る。当時のフランスはまだ戦争中だったのだし。名監督の方法論にケチつけるのは気が引けるが、時代とともに作風に陰惨さをつけ加えざるを得なかったチャップリンのほうが誠実だと思うのだった。

(評価:★3)

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