[コメント] 関心領域(2023/米=英=ポーランド)
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アウシュビッツ収容所の隣の家で、家族が庭のプールで遊んでいるというキーアートとこのタイトルでこの作品のテーマが語れちゃう。転勤でここから引っ越すことを知って夫に物申すべく、奥さんが収容所の壁際をプンプンしながら歩いているカットだけでもうテーマを語りつくしてしまっていると思う。滞在にきた娘の母親が壁の向こうの音と匂いに気持ちが悪くなって置き手紙(おそらく「こんなところにいたら正気が保てない」と暗に娘を非難する内容)をして帰ってしまう件や、兄が弟を温室に閉じ込めるいたずらの件なんかも、もうわかってるよ言いたいことは、という感じが否めない。
ヘスの奥さんのような天然物の無関心と、ヘスや他のナチスの高官のような、ある種意図的に無関心であることに努める心の在り方は違うと思うが、そこはあまり掘り下げない。奥さんがポーランド人の家政婦にキレて、「そのうち夫があんたも灰にしちゃうよ」って言い放つがこうまでのことはナチス高官自体は言わない気がする。こういう無関心は無知からきているもので、ナチスが強制移住という政策的な失敗により収容キャパを超えたユダヤ人を虐殺することに踏み切らざるを得なくなったことに対する、組織人として割り切ったものとは違うからだ。
この映画はしかしそういったナチスという組織の歴史的な問題を描くのではなく、ヘスの奥さんのような普遍的な関心領域というものの在り方を告発しているように思う。それはヘスがパーティの帰りに垣間見る現代のアウシュビッツ博物館の描写でわかる。清掃員たちが展示物にはまったく気にも留めずもくもくと仕事をこなす場面では、すでに日常化し特段関心を払われなくなった陳列物としての遺品という描写がなされている。見学者たちが見学しているところではなく、清掃員の清掃風景にしたのは、見学者たちを描写すると少なからず「関心を持って見ている」姿が映ってしまうからだろう。つまり特別な意識でそれをみない=関心を払われないという状況をある種詐術的に見せている描写だが、その時熱心な見学であってもそこから次の観光スポットに行くまでに忘れてしまう人がほとんどだろうという含みも込みでこうした描写にしたのだろう。(詐術だというのは清掃員の中にだって、毎日犠牲者たちに哀悼の意を持ちながら職務に務めている人だっているだろうから)
つまり現代のパレスチナ、ウクライナ問題にとどまらず、ケアラー、ネグレクト、移民の家庭などにたまたま生まれなかった私も含め日本の4分の3くらいの人の関心領域に入らない弱者は大勢いて、その無関心とこの作品の無関心に何の違いもないのだ、と言っている気がする。人は「自分の見たいものしか見ていない」「自分の見たいように見る」ということから逃れられない宿命にあるという、普遍的なありかたとしての無関心領域について問題提起した作品と思う。
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