[コメント] ディア・ファミリー(2024/日)
これ−シネスコサイズは、少なくも、テレビの画面ではなく映画の画面を志向することを表しているからだ(もちろん、シネスコやスタンダードだからといって、それだけで映画の画面を獲得するワケではないし、ビスタだからといって、映画の画面になり難いというような単純なものではないけれど)。
さらに、シネスコを意識させる画面(構図)が散りばめられているのだ。それは例えば、冒頭、1991年のシーンにおける、病院の廊下をストレッチャーが走るそのキャスターのショットで既に感じられるし、1970年代の東奔西走する主人公−大泉洋を描く部分の、走る新幹線を右にパンして富士山を後景に入れるショットなんかが極めつけだろう。席で煙草を喫う大泉洋。続けて「特急しなの」が出て来て、寄りのショットからCGで窓越しの大泉に繋ぐ、ヒッチコックみたいなカッティングにも驚かされる(『海外特派員』みたい)。
また、プロットの運びも随所で上手さを見せる。メインのプロットは1972年から1990年ぐらい迄で、冒頭に1991年と2002年の場面が描かれ、メインのプロットの後、最終盤で再度2002年に戻るという構成だが、冒頭の1991年の位置付けがラストで種明かしされるというのがミソだと思う。これはある意味ワザとらしくもあるのだが、ワザとらしさを超える感慨も覚えるのだ。
もう少し細部について記述すると、例えば大泉とその妻−菅野美穂の娘たちの見せ方。小学校の前の坂道を歩く次女ヨシミの小さな足から、高校の門の前を歩くヨシミの足に繋いで、福本莉子にリレーする処理が鮮やかだ。この場面で長女−川栄李奈、三女−新井美羽も合わせてリレーして見せる(しかし、川栄が未だ女子高生!)。また、長女と三女も出番は少ないながら、きちんと機能する。特に、序盤の(子役の)長女が「どうして誰も止めないの?」と笑いながら云うショットの挿入は聡明だと思う。
ただし、そつなく繋ぎ過ぎて、段取りを見せておくプロット運びが平板に感じる部分もある。例えば、医学部長が教授の光石研に英語新聞を持ってきて危惧を表明するショットを先に挿入しておく部分。これなんて、いきなり光石が大泉に新聞を差し出して、人工心臓の試験ストップを告げた方がずっと良いと私は思う。
本作のプロット構成の最大のポイントは中盤で主人公の目標・目的が挫折し転換する点だろう。しかも、大きな目標・目的は変わっていない、それはヨシミ−福本の夢の実現である、という複雑な思いを抱かせるギアシフトをスムーズに違和感なく進行するプロット運びだ。これが奏功し、ラストで1991年の場面が活き、記者−有村架純の存在が効いてくる。あと、ヨシミの日記のナレーションに過去の場面がフラッシュバックするという、よくあるベタベタ演出について、私はやっぱり始まったかと落胆したが、使いまわしのテイクではなく、ほとんど初めて見るテイクというかシーンがフラッシュバックされたのには感心した。ヨシミの成人式の写真撮影場面まである。この肌理細かさも満足度が高い。
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