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[コメント] ルックバック(2024/日)

例えば予期せぬ出来事によって「創作」を永遠に絶たれてしまった者、あるいは周囲の無理解によって「創作」を自ら断たざるを得なかった者、そして「創作」を志しながら才足りず、鍛錬続かず、機会得られず早々に退場してしまった数多(あまた)の者たちへの鎮魂歌。
ぽんしゅう

もちろん、すべての者たちの“生きざま”は肯定されなければならないのだ。

この物語は創作活動がはらむネガティブな「苦しみ」に安易に価値を見いだしたりしない。創作のポジティブな発露としての「喜び」を“何があろうとも”徹底的に描ききる。悲しみの先は「創造する力」によってのみ見いだされるのだ。

ここからは長い余談です。創作に必要なものは「ベースとなる才能」、それを磨く「圧倒的な努力」、その才能と努力を認め合う「同志やライバル」なのだろう。その三つの要素が満たされたとき、彼らを世に送り出す「発見者」が現れるのだ。

京都アニメーションの事件を起こした男の話です。事件に至るまでの男の生い立ちと行動を追った精神科医師の手記を読んだことがある。決して良好とはいえない家庭環境と教育課程を過ごし、その結果として満足のいく職を得られなかった男は、創作活動に最後の望みを見いだしたのだという。そして細々ではあるが人づきあいも保っていたという。だが男はいつしか自分の周りの人間関係を一切たってしまい事件に至ったのだそうだ。男に「ベースとなる才能」があったのか、「圧倒的な努力」をしたのかどうか、私には分からない。だが「同志やライバル」がいなかたのは確かのようだ。この三つ目の要素が加わっていたなら男の顛末は変わっていたのだろうか。

この男の「創作」の意志もまた肯定されるべきだ、と書いたらお叱りを受けるのだろうか。ではこの男の「創作」はいつから、どこから“否”になってしまったのだろうか。この男の挫折と、数多(あまた)の挫折者たちを分けた「何か」とは何だったのだろう。世間、折り合い、紙一重。そんな言葉が頭に浮かんだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)おーい粗茶[*] けにろん[*]

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