[コメント] 昭和残侠伝 死んで貰います(1970/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
1作目の次に、この作品で監督の違いを見極めようと、そして「最高傑作」との名高い作品で『昭和残侠伝』をきっちり捉えようと目論んで鑑賞し、当然予想通り盛り上がり、大興奮。テレビ画面を見ながら、あまりのカッコ良さに悶えてゴロゴロ布団の上を転がり、そしてビデオ屋に別の『昭和残侠伝』を借りに走る俺がやっぱり居たのであった。
終盤。引きとめず、しかし「生きて帰ってくれ」と約束をするヒロイン。恋焦がれ、やっと会えたのに、命張って殴りこみに行く男の後姿。そこに池部良。高倉健の歌声。思わず、テレビ画面を見ながら歌う俺。
「唐獅子〜牡丹〜♪」
まさにこの感覚こそ「よ!待ってました!」の感覚で、それは例えるならヴァン・ダムが開脚したり、シュワちゃんが装備を整えて娘を救出に一人孤島に殴りこみに行く感覚・・・とは違いますね。そうですよね、違いますよね。
抑える所はきっちり押さえて、徹底的に見せる。素晴らしい演出で、これこプログラム・ピクチャーの醍醐味であって、これこそまさにエンターテイメントなのだ。
◇
――と、言った具合に、映画として非常に面白かった反面、ただ一つだけ気になる点がある。それは「悪役」の物語でって、つまりは「殴りこみ」の根本的な動機の部分。
1作目の高倉健は、耐えに耐えて、ついに「最後の最後が来てしまいました」と殴りこみに出向いていく。それは「追い詰められた結果の、仕方が無い殴りこみ」であって、同時にそれは守らなければいけない物があったからである。その「守らなければいけない物」とは、当然、「渡世の仁義」というミクロな物じゃなくて、「エンコ浅草の未来」というマクロな物語であって(勿論、この前者と後者は表裏一体の関係にあるわけだが)、だからこそ、高倉健が私情で殴りこみに出向くからこそカタルシスが生じるパラドックスがそこにあった。
しかし、今回の高倉健の殴りこみは、確かに道理にかなっているようにも見えるし、いつも通りのプロットに沿っているので、確かに「耐えに耐えて」の殴り込みとも思える。だが、今回の悪役がやったのは、確かに「乗っ取り」とか仁義に反した行い(深川の件でもめてたこと)をしているが、結局のところ、直接、高倉健の側に手を(まだ)下していない。
家の権利に関しても、ドラ息子が自滅して借金のカタに取られただけで、そこに文句をつけるなら、相手じゃなくてドラ息子に文句をつけるべきなのだ。騙されたも糞も、それ以前に、ヤクザに金借りて金をスって、破産してる手前の身内の面倒をみやがれってんでい!(あれ?口調が・・・)
結局その後、親分が相手方に殺されてしまい、それをキッカケに殴り込みが決意されるわけだが、正直、この親分の暗殺に関しては確かに殴り込みの動機として十分とは言えるが、しかし、それ以前の「耐えに耐えて」がいまいち足りないのだ。
だからクライマックスに関しては、エンターテイメント的な面白さは確かにあって、それは確かに映画的であったので、満足なのだが、一作目にあった「物語的」な面白さが欠如していた気がしてならない。つまり、高倉健が戦う、命張ってまで殴り込むその動機が今ひとつ不明瞭のままなのだ。彼は一体何を守ろうとして戦っているのだろうか?
これを考えることは野暮かもしれない。それは「渡世の仁義だ」とか言ってしまえばそれまでだ。しかし、僕は確かに1作目の高倉健の戦いの中に、彼が守ろうとした「何か」を見たのだ。だからこそ、『昭和残侠伝』に惚れたのだ。『昭和残侠伝』には戦う理由の「何か」があるからこそ、それを「渡世の仁義」と言って総括出来るのではないだろうか。
しかし、本作品に於いてもっとも「渡世の仁義」に反した行いをしているのは、結局あのドラ息子じゃないのか?手前の母親放り出して、息子を預けて、どこをほっつき歩いて帰ってきたかと思えば、やれ金が無い、やれ一山あてたい、挙句の果てには「家の権利奪われた」と泣き言を言う。
高倉健は、池部良は――彼らは一体何を守ろうとしたのだ?
まさか手前の家の厄介者のドラ息子のせいで生まれた借金のせいで殺されたヤクザの親分の敵討ち?なら、先にヤキ入れるべき相手が居るだろうよ。
溜まりに溜まらず、耐えに耐えず。それでも、殴り込むクライマックス。その闘いで守られているのは、映画の「お約束」であって、「渡世の仁義」ではないのではないか?
だから、高倉健が「死んで貰うぜ」と凄んで見せても、映像的に映えても、物語的には表紙抜けなのだ。一体誰のために、何のために「死んで貰う」必要があるのだろうか?
この点のみが、非常に不満として残るのである。
◇
などと、この点に関して大いに不満が残る作品だったのだけども、「拭っても拭っても取れない垢」の物語として――堅気になろうにも、入れた墨だきゃ落とせない、突っ込んだ足についた血と暴力の過去は消せない――捉えてみれば、十分面白い作品だと言える。
特に高倉健とヒロインのラブロマンス、池部良が料亭を以って「私はこの店しか生きる道が無いんですよ」と叫ぶ件――それぞれの男たちのドラマが交錯して、濃厚な画面が構成されていることに関しては、素直に感服した。なるほど確かにシリーズ最高傑作といわれるだけのことはあって、中々面白い(でも俺は1作目を断然支持するし、物語としては、少々穴が多すぎるように思うけど)。
しかもこれが90分程度の尺に収まっているのだから、近年の映画も見習うべきではないか。
1作目の鮮烈な感動に対して、少々劣るものの、十分★5に値する、生粋の、極上のエンターテイメント。上述の点が気になるので、渋々★4・・・をつけようと思いつつ、思わず★5をつけてしまう俺(←ダメじゃん)。
物語がもっと重厚で、いっそ150分ぐらいの一大大河ドラマにして、描き尽くせば★5をつけていたかもしれない(でも、150分もあったら『昭和残侠伝』じゃないよね)。
◇
ああ、でもやっぱりカッコイイ物は理屈ぬきにかっこいいや。
身震いしながら、俺も口ずさむ。
「背中で、泣いてる〜唐獅子牡丹〜♪」
うん。やっぱ★5だ。
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