[コメント] 2001年宇宙の旅(1968/米=英)
よく言われるように、「2001年〜」は極めて多くのモニターが登場する映画だ。劇中、これら のモニターは「情報を画像として提示する」装置として使われている。つまりモニターは、人 と機械を結ぶインターフェースとして用いられているのだが、これはこの映画が製作された年 代を考えれば、まったく特筆すべき事だ。
今現在の感覚からすれば「情報が画像として提示されている」ことに驚きは無いかもしれない。 身の回りを見渡してみても携帯電話や各種家電製品などをはじめ、我々の周囲は「情報を画像 として提示する」装置に溢れ、そして気にもとめないでいる。それはまさに今、この「Cinema Scape」というサイトにアクセスしているあなた自身を見れば明らかだ。「情報が画像で提示 される」PCというメディアに接し、当然のように使いこなしているのだから。
しかし思い出して欲しい。このようなマン・マシン・インターフェースは昔から私たちの身の回 りに溢れていただろうか? これらが普及し、そしてごく普通のモノになったのはずいぶんと最 近の事だったのではないだろうか?
例えば「2001年〜」と同じ60年代に作られた他のSF映画を観てみればわかるかもしれない。こ れらの映画に登場する機械のインターフェースは、ほとんどが明滅するランプやボタン、そして 数値を針で示すメーター類だ。これらのインターフェースは19世紀か、遅くとも20世紀初頭まで には確立したものだろう。つまりそれらのSF映画は、形の上では”未来”のふりをしていても、 実はそこに盛り込まれている内容はどうしようもなく過去のものなのだ! そんな映画が多かった 時代、「2001年〜」で描写された「情報が画像で提示される」インターフェースが、いかに画期的なも のだったかわかるだろう。
もちろん、キューブリックが「2001年〜」の中に多くのモニターを登場させた理由は、当時TV が大々的に普及して大きな力を持ち始めたから、とも言えるだろう(実際、劇中でもTVとして描 写されるモニターも多い)。ただし重要なのは、ややもすればTVを「映画の代用品」として認識 する傾向があった時代に、その本質を見抜いて「情報を画像として提示する」装置=モニターとし て捉えたことなのだ。このモニターとしての本質を見抜き、それをインターフェースとして描写し たからこそ、今現在の私たちも、この30年以上も前の映画に違和感を感じずに接することができる。 未だにこの映画が色あせない理由は、こんなところにもあるのだ。
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