[コメント] 楢山節考(1983/日)
タイムマシンで原始時代に飛ばされ、帰れない運命を覚悟した母子は…。☆4.6点。
何人かのコメンテータもおっしゃってますが、この映画は「動物的な生=性」に生かざるを得ない古えの村落で、ただ二人の「人間的な(理性的な)生」を知る母子の物語と言える。この二人は周りの人物達からは明らかに 感情(情操)の面で浮いており、この違和にこそ制作者の作為が露顕しているように見える。現代に棲む我々の社会とて(特に若者が短絡化した昨今では)一皮剥けば動物的な理不尽に満ちているが、その中で理性的に生きようとする態度を風刺しているのか。
母の採った態度は受け入れ、甘んじる事だ。その理不尽への諦観にこそ理性の究極の有り様が見える。息子は嘆き悲しんだ。二人の動物的な弟達や後妻には解ってもらえない深い感情。息子はその感情を一歩一歩踏みしめた。この映画を母親と息子の、生と死の物語として観る時、きっと20年前では全然解らなかっただろうと思うし(実際解らんかった)、10年前でもよく解らなかったろうと思う。逆に10年後にはとても観ていられなくなるかも知れない。
村落共同体の安定は理性的な判断によって成されているとは言い難い。生活を動かして行くものは食と性であり、村民はそこから気取って目をそらしたりする必要も無く、真正面に向き合って生きている(生きて行くしかないからだが)。それしかないからあからさまとなる実相。今村監督は、本能的な「因襲による安定」から社会の真の実相を炙り出しているようにも見える。<脆弱な虚構(物語)>が実生活にまで溢れ出して(侵蝕して)来ている現代では、益々見えづらくなっている視点と言えよう。
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