[コメント] ファーゴ(1996/米)
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何かが瞳からすこんと抜け落ちているようなマクドーマンドの異様な明るさは相変わらずなのだが、ここでのそれは不可解なほどの愚かしさが氾濫する現実への対処法なのだろう。惨劇の現場検証であくまで淡々と推理を述べたり、にこにこしながら事情聴取するのもそう。一種の自己防衛だ。妊娠しているのも、日常に自らをつなぎ止めておくための楔のようなものに見える。
マクドーマンドの「非日常」との闘争に向ける執念は、非日常と差別化された「日常」に在り続けたいという想いに端を発するものなのだろう。仮に「非日常」こそが「日常」であり、「日常」に固執することが「異常」だとしても、マクドーマンドは此岸の住人としての闘争をやめない。日常が何かを忘れてしまえば、彼岸の住人になってしまう。息子の呼び掛けにさえ怯えるメイシーのように。
暴力と滑稽の世界への絶望の提示は『バーバー』を経て『ノーカントリー』まで変奏が繰り返されるが、これから世界で新しい命を育むマクドーマンドの姿がもたらす情感の重さはことのほか大きい。それは『ノーカントリー』でこれから暴力の世界を背に去ろうという老トミー・リー・ジョーンズが見せる絶望感に対峙するものだ。ラストで、「あと二ヶ月だな」と夫(この夫のダサいビジュアルがいい)に声をかけられてマクドーマンドが見せる表情が、絶望の表情でないことに救われる。血と暴力の世界に背を向けることはできないし、楽観的に生きるなどもってのほかだ。しかし絶望はしてはならない。このマクド−マンドはいつにも増して巧い。
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