[コメント] やさしい女(1969/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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原作の漆塗りのような饒舌を、映画はサイレントと見紛うほど寡黙な世界に置き換える。内省とは何か、小説と映画との違いは何か、という問題を提示しつつ、ドストエフスキーとブレッソンは、それぞれの資質に寄り添いながら、心の闇について考察を続けており、それは果てしもないものだ。キリスト教とはこれほどまでに現世に絶望を抱えるものかと、圧倒される。頬の辺りに冷たさが残る。
権利関係で再上映が果たされていないのが残念な作品。死ぬまでにもう一度観たい。
〔2015.4月追記〕
もう一度観てしまって、もう死ぬのではないかと恐れている。映画の評価を変える必要はなかった。
本作は『ラルジャン』で極められる、金の交換とその媒介たる手の交錯の映画であるが、さらに生脚の映画でもあった。かつて夫が拝跪した妻の脚が、ベッドに横たわる遺体として執拗に捉えられる。夫婦の隙間が拡大していっても妻はこの脚を開くことを止めなかったのであり、結末に至らざるを得なかったふたりの背中合わせの共犯関係がほの見えている。
山崎むつみの近著「ドストエフスキー」を読み、ドスト氏の饒舌の方法論の凄さを教えられたばかりなので、どうしてもブレッソンが原作から何を消したのかが気になったが、関係をフラットに置くことにより、夫の自己断罪をセーブして妻の共犯関係を相対的に浮かび上がらせたのだとの感想を持った。『少女ムシェット』の主題の継続が見えた。冒頭と収束の、丸机の横転は驚異的。
山崎氏の本からリチャード・ピースの文書を覚えとして孫引き。「正教会の観点からすれば、ほかでもないこのポリーソワ(妻のこと)の死をも「おとなしい」と呼ぶことなどとてもできることではあるまい。イコンを両手に抱いた自殺はむしろ反逆を思わせる。それは、あたかも教会の教えに対する挑戦のようだ。分離派教徒たちがイコンを両手に抱いて祈りながら集団焼身自殺に身をまかせたことは周知のとおりである」
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